拝啓、市民社会
ネットの知り合いつてでオフ会に出かけた時のこと、私の活動を昔から知っている精神科業の方が「似非原さんはパブリックエネミーですから」と述べたことをヘラヘラと笑いながら「まぁ、そうだよね」と思いながらスルーしていた。だが、帰って一人で1.8リットルの安いワインを飲んでいたら、急にムカムカしてきて「鼻の先を叩き割っておけば良かった」という怒りが段々と出てきたりしていた(もちろん、そんなことはしないが)。
ただ一方で、自分が「パブリックエネミー」だと名指されることには奇妙な納得感があるというのも間違いはない。というのは、それが排除に対する恐怖感からであれ、あるいは、私は「良い子」であるという帰属意識からであれ、多くの人々は「市民社会に相応しい一員である」ということを常に社会に対して発信しているのは解る。そして、私がその努力を怠っているのは間違いないからだ。
そういうわけで、多くの人たちというのが「市民社会に相応しい一員である」ということに付いて問うと、大抵はポカンとされる筈だ。何を当たり前のことを、というわけである。
以前に呉智英の本で、何やら感心した話がある。それは戦時中の話で「日本には何時カミカゼが吹くのか」という激論がかわされていたという話である。この話は、今の私からすると荒唐無稽のような議論ではあるが、しかし当時は「日本は神に守られており、カミカゼが吹くことは間違いない」という前提があった。その前提というのを疑わずに話をしてしまうのだ。
そういう意味では、このような「カミカゼ」なるものが、現在に置いて「市民社会」ということについて語られている印象を大きく感じる。なぜそのように感じるかというと、しばしば議論が紛糾するような問題というのは、市民社会における同意の上にある齟齬であるように感じることが多くなってきた。
例えば、私は典型的な貧困男性で、ボロボロなパーカーを着て街をうろついている。それだけではなく、最近では靴下がいらないという理由だけで雪駄を吐いてその辺を彷徨いている。この姿はかなり目立つらしく、つい最近もコンビニの老年の方に「職人の方ですか?」と声をかけられたことがある。その癖パイプたばこみたいな趣味を嗜むものだから、アメ横でパイプを購入しようとちょっとした店に入ると緊張したりするのである。
この手の羞恥心や警戒心というのは、少なくとも社会的動物という定義を思い出すならば、人間の本性にあるものであって、常につきまとう問題である。例えば、『森田療法』(岩井寛)は次のように述べている。
ここで著者自身の体験例を言おう。著者は「社会化準備期間」の頃から、非常に自己内省的になり、"かくあるべし"という心理機構が強く、神経質的な一面を多分にもっていた。例えば、中学三年の頃、古本屋で大学生が万引きして書展のおやじに見つけられたのを目撃し、それ以来、本屋に入ってから自分が万引常習者だと思われたらどうしようという不安が強かった。高校に入ってから、ある古本屋で堀口大学訳によるアポリネールの美しい詩集の初版本を見付けたときに、胸が高まって棚からその詩集を手に取って見たかった。しかし、万引者だと思われはしないかということが不安で、とうとうその詩集を手にすることができなかった。不幸なことに、そのとき著者は電車賃ぐらいのお金しか持っていなかった。そこで、その日は詩集を買うのをあきらめ、翌日お金を持って、放課後に、くだんの古本屋に寄ると、美しい詩集もう売れてしまっていた。(p. 43)
ここで重要なのは「人に悪く思われはしないかという、逃避的な強迫観念なのであって、「悪しく思われたくない」という自己中心的な欲望の現れ」とばっさり斬っていることだ。
森田療法はこの手の「苦しみ」や「辛さ」を、いわば人間の本性として共存してく手法を提案しているように読める。そして、この論旨においては、この手の警戒心や羞恥心というものは、一つの「市民社会」を送る上において避けられないものであるという側面が大きいようにも感じる。
当然ながら、女性が不当に警戒心を抱くという状況は改善されるべきだと思うが、しかし私にとっては公共性というのは根本的に不愉快さを前提としなければならないと思う。正直に申し上げるならば、多くの人たちにとってホームレスが不愉快であるのと同様である。そのような不愉快さが公共性の前提としてありうるわけであって、だからこそ都市というのは憂鬱なものであったはずだ。しかし、市民社会というのはどうしてもその手の不愉快さについて、防衛的な要素が含まれてしまうのにも関わらず、その防衛的な側面を、我々は明らかに見ないようにしている。
恐らく、本来問われているのは「市民社会とは何なのか」という問題であるのだが、しかしそのような問いは、人が「市民である」ということを所与のものとして当たり前に考えている以上、問われることはないし、それこそ誰も本音としては何も解決したいと思っていないのかも知れない。