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デカルト再読

 この記事は 2021 Advent Calendar 2021のために書かれたものです。前日のエントリはこちら

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 デカルトについて、初めて熱心に読んだのは、確か二十五歳くらいの頃だったと思う。山形浩生のプロジェクト杉田玄白の一つとして寄稿された『方法序論』を、私はその翻訳についての真偽はともかくとして、熱心に熟読検討した。そして淡々と冷静な文章の中に潜む痛ましさに惹かれ、そしてそこからドラマティックに快活になるデカルトの姿を見て、ちょっとだけ感動したものだった。

 なので、改めて三十代になって、さらに言うならば二〇二一年になって、改めてデカルトを読み直してみると、何だか故郷に帰ってきたような、あるいは似たような傷を持つ人間のように感じてしまい、何やら勝手な親近感を持って読めるようになってしまった。恐らく、それは最初読んだ時にも感じていたからかもしれないし、あるいは辛酸を舐めて、そのような機敏について、過敏になっているからかもしれない。

 私自身は研究者ではなく、単なる趣味人に過ぎない。

 正直に言ってしまえば、デカルトの哲学部分に関しては古臭さしか感じない。

 しかし人間としてのデカルトについては、深く共感を持って読んでしまうのだが、そのような共感というのは得てして哲学的営みとはズレた、こちらの身勝手な投影――自分の問題意識を他人に押し付けるような――に過ぎない。

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 例えば、私の好きな思想家の一人にアドルノという人物がいる。

 アドルノはホルクハイマーと共に『啓蒙の弁償法』という本を書いた人である。この本の問題意識というのは、いわば「人間は以前よりも啓蒙され、知識もあり、見識も深くなったのに、どうしてアウシュビッツのような野蛮な虐殺を行うようになってしまったのか」という歴史の逆説を説明することにある。

 その内容はともかくとして、私はデカルトにも同じような戸惑いを感じる。

 『方法序説』の第一部の最初の部分において、「ほかの人々のもっているような、すばやい考えを、はっきりしてまぎれもない想像を、内容豊かな、またすぐにこたえてくれる、記憶を、もちたいと望んだ」と述べている。

 また、彼は学業を終えて、学者の仲間に入ったときに「多くの疑いと誤りに悩まされ」、「自分の無知」をあらわにしたということを述べている(生涯によれば、彼が入った軍隊の中に、極めて明晰で優秀かつ野心的な自然学者がいたらしいことが述べられている)。

 社会学者が社会のことを研究するのは「世の中」について知らないからで、心理学者が心理について研究するのは「人の気持ち」のことをよく知らないからだ、というのは良く言われる揶揄だったりするが、哲学者が「哲学」のことを研究するのは「理性」について知らないからだ、とも言える。

 もちろん、のちに数学の中で名を刻むことになる「デカルト座標」などの名前を残すことになる人間なわけだから、何をご謙遜なさって、いやらしい、という気持ちもなくはない。だが、時代的に哲学という仕事が、まだ「神学」の付随物であったことなどを考慮するにしても、この考えが謙遜であるというわけでもないだろうとは思う。事実、デカルトがシンプルで端的な真理にこだわったのは「本当に記憶力がなかったからだろう」と邪推する人もいるくらいである。

 真理に対する常人にはわからない執着というのは、通俗的な哲学者のイメージであるが、まさにそれはデカルトに当てはまるように思う。しかし、デカルトの執着は、傍目からみて尋常ではないようにも思われる。

 それは、デカルトの「建築」の喩えに如実に現れている。それは思い切って要約するなら、あやふやな基盤にはがっしりとした建物を建てることはできない。従って、土台から検討するべきである、というものだ。

 普通、自分の知性を考えるさいに、このような考え方をしないだろう。というのは、いびつであれ、自分の考え方を実践的に調整していき、改良していくのが当然であって、そのような基盤を見つけるまで検討するというのは、なにやら神経質な印象は否めない。実際に、デカルトはこと政治に関しては「いつも頭の中で何か新たな改革を考えることをやめない、ですぎたおちつかぬ気質の人々を、どうしても是認しえない」と述べているわけだから、ここには温度差がある。

 デカルトは元々旅が好きだったような節がある。というのも、定期的に放浪のような旅に出かけているからだ。恐らく、デカルトのような好人物は好まれたし、また旅を楽しんだことは想像は出来る。私たちが旅に出る理由の一つに、見識を広め、感受性を豊かにするということが挙げられる。

 もちろん、デカルトは旅の効用として、「先例と習慣とによってそうと思い込んだにすぎぬ事がらを、あまりに固く信ずべきではない」ことから解放されたとは述べている。だが一方で、「けれども旅行に時を費やしすぎると、けっきょく自分の国では他国者のようになってしまう」とも述べている。

 確かに、ミルは『自由論』において、意見の多様性を政治的に確保することこそが、正しい意見にたどり着くために最良であると述べた。これは今で言う民主主義の基本となっている考え方である。

 だが一方で、意見が余りにも多様にありすぎる(あるいは多様にあると「見せかけられている」とすると)、私たちはあらゆる意見に対して他国者のような意見に接するか、あるいは、自分の意見に執着するかの何れかという反応が起きているように思われる。

 そこには、意見の弁償法というようなものが、存在しているようにも思う。

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 さらに言うならば、多人数がより集まって作ったものよりも、一人で作ったもののほうが綺麗に作ることが可能である。デカルトは『方法序説』によって述べている(実際は自然科学の分野で共同研究を何度も行っているわけだが)。だが、このような考え方自体が、彼が世間と距離感があったことを感じざるを得ない。

 事実、「世間という書物」という文句には、その一端が見えるし、さらにはフランスに移住したさいには「他人のことに興味をもつよりは自分の仕事に熱心な、きわめて活動的な多数の人々の群れの中で、最も人口の多い町で得られる生活の便宜を何一つ欠くことなく、しかも最も遠い荒野にいると同様な、孤独な隠れた生活を送ることができた」と述べているし、また「世間で演ぜられるどの芝居においても、役者であるよりも見物人であろうとつとめ」たと述べている。

 ここには寒々しいほどの世間との距離がある。まるで、他国者のような、そういった空気を感じざるを得ない。

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 公平に述べるならば、このような書物から伝わる寒々しさとは裏腹にデカルトは様々なものを見聞きし、また意見交換を交わしたりしている。そこには社交的で快活なデカルトがいる。

 一般的で穏健的な意見としては、まず一つには当時の宗教戦争における動乱を避けるものだ、ということがある。実際に、デカルトは著作である『世界論』と呼ばれる本を用意していたのだが、この本はガリレオが宗教裁判にかけられ、有罪になったことにより、出版を断念することになったと言われている。

 それほどまでに、ある科学的な知見であったり意見を言うことというのは危険なことというのは確かである。旅をしていて、人々が如何に疑わしいものを信じているのかについても『方法序説』が述べるように、自覚的であっただろう。そこには不確実なことを言うことに対する明らかにリスクのある状態というのが存在していたのは間違いがない。

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 デカルトの魅力というのは、このような徹底した、一歩間違えれば狂人めいたラディカリストの側面がある一方で、穏健なモラリストとしての側面が不思議と調和していることにあるだろう。何故なら、彼は政治的なことに関しては、改良を積み重ねていく必要があると述べるし、生活する上においても、世の中で多く受け入れられているもののうち、穏健なものを選ぶと述べているからだ。

 正直、上のような意見を初めて読んだとき、若かりし頃の自分はなんて退屈な人間なのだろうと思ったのだが、しかし暫くたって読み返すと、デカルトは現実的において退屈な人間はなかったし(夫人の為に決闘相手の刀を奪い取るほどであった)、また「書物としてのデカルト」についても同様になる。

 『方法序説』の第三部において「理性が私に対して判断において非決定であれと命ずる間にも、私の行動に置いては非決定の状態にとどまるようなことをなくす」と述べている。何故なら「私の意見」は「もはや何の価値もない」からである。そこで、いわば仮の道徳として三つの原則が打ち立てられる。

 このモラリスト的な部分は各人で確認してもらうとして、しかしそこの喩えに注目したい。そこには「建築にかかっている間も不自由なく住めるほかの家を用意しなければならない」としている。そのほかの家とは他ならぬ、最も分別の人々の意見ということになるわけだが、それは一つの居候ということにもなる。

 場合によっては、それはもしかしたら他国者のような気持ちかもしれない。

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 狂人が狂人たる理由の一つに、私について否応もなしに確信してしまうことにあるとするならば、同様にして何も確信できない状態でいることもまた狂人であるということが出来る。ただし、それは我々が想像しているような狂人ではなく、モラリスト的な狂人であることは間違いない。

 ちくま学芸文庫版の『省察』において、ポストモダンの哲学者にとってデカルトの積極的な関心が薄いのと同様に、デカルトの哲学者もまたポストモダンについて積極的な関心を持たない、と解説をしている。もちろん、フーコーが『狂気の歴史』で「狂気の排除」の一例としてデカルトを引用し、それに対してデリダが反論するといったようなことは行われてはいるが、しかしそれは両者の関心にデカルトがたまたま使われたという認識になっている。

 当のデリダの反論というのは『エクリチュールと差異(上)』という講演集に収められており、『省察』の第一省察において語られたものを巡ってである。

 まず一つに、フーコーは「頭が粘土でできている」だとか「全身が水瓶である」といったような主張をする狂人を引き合いに出し、次の説で、瞬時に夢の話になることによって、狂気を追い出しているといっている。だが、デリダにとっては、このときの「夢」というのは、場合によっては狂人よりも狂っている状況を仮定しているということも出来る、と述べる。如何なる狂人であれ「私は狂ってはいない」と取り繕うが、ロゴス=言葉の下で語る上においての決まりごとだからである。だからこそ、突拍子もないことを言うのではなく「わかったわかった、じゃあ夢というのはどうだ?」という戦略だとデリダは述べる。

 そして、さらに重要なことであるが「我思う故に我あり」という論証自体は、狂っていようが、狂っていまいが、問題がない。しかし、その論証自体は「狂気を脱ぎ去る」ことによって初めて行える。つまり、「狂人か夢か」という二者択一のほうではなく、言明自体にこそ、そのような「狂気を排除する」という要素が最初から含まれている。理性への告発が、理性によってしかなされないということと同様に、である。

 このように整理できる論争の中で、一つのことがほのめかされているように思われている。

 時折指摘されることだが『省察』において「欺く神」という言葉が使われる。この役割というのは「2+3=6」だと恰も信じ込ませるような神であるのだが、第四章において、デカルトは「欺く神」というのはあり得ない、と述べるのである。それはまず「詐欺や欺瞞」は不完全なものであるから、まず神がそこには属さない。次に「欺こうと欲する」のは、悪意や弱さによるものだから、神に属さない。従って、神は「詐欺や欺瞞」を働かない。

 第一省察において「欺く神」というのではなく「悪しき霊」と仮定してもいいかもしれない、と言う横滑りが起きている。何故なら上に述べたように「欺く神」というのはありえないのだが、しかしそれは論点先取りである。だから「悪しき霊」を先に出しているのである。そして、実際には「我思う故に我あり」という言明は、どちらを仮定するにしても成立するものだとデリダは述べる。

 この「悪しき霊」は「《私》は存在しない」と強く信じ込ませることが出来るほど強い霊であるのだが、しかし「《私》が存在しない」と思わせれば思わせるほど、では「存在しない」と考えている主体は一体誰なのか?ということになる。当然、《私》なのだから、これは矛盾しているわけだ。

 この議論について、例えばフッサールは意識という側面から批判的検討を行ったのは確かなのだが、しかし不思議なのは、それは認めるとしても、このことによってなぜ「全ての建物の基盤」になるのかが不明なのである。私のような粗雑な人間であるならば、「我はある、だからどうした!」という話である。

 一つだけ言えることがある。狂人とは、理性にとっては言葉を持つことが出来ない、あの駅前で看板の意味がわからず立ち往生する他国人なのである。

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 このヒントは恐らく、木田元氏が書いている『反哲学史』(新潮文庫)に述べられていることのようにも思う。

要するにデカルトの言う「理性」は、神によってわれわれに分かち与えられたものであり、われわれ人間のうちにありながらもわれわれのもつ自然的な能力ではなく、神の理性の派出所とか出張所のようなものなのです。だからこそ、そこには個人差はなく「公平に分け与えられていて」、これを正しく使いさえすれば普遍的な認識ができるのであり、のみならず、世界創造の設計図である神の理性の出張所なのだから、これを正しく使いさえすれば、世界の奥の奥の存在構造を捉えることもできるのです。(p.134)

 問題は悪霊でも騙せない「神の領域」みたいなのがあり、そのような「神の領域」が悪霊によっても排除できないとするならば、また私も否定することが出来ない。私が否定されないということは以上によって明晰にわかる。従って、明晰さを信頼しても良いということなのだろう、と私は思う。

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 実際のところ、この文章はもっと早くから着手される予定だったのだが、不慮の事故により、一万文字が除去されてしまい、慌てて期日に間に合わせるために書いている。従って、論旨が不明瞭になっている部分があることをお詫びしたい。

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 二〇二一年になって、我々はより啓蒙され、見識が広がったことは否定するまでもない事実であろう。しかし、そのような見識が広まったのにも関わらず、どことなく息苦しさを感じる側面も多くなった。二つの意見がぶつかり合い、それは止揚されることはない。まるで、それはお互いに理解しようとすればするほど憎しみ合うという状況が続いているように思う。その光景は、私にとって「世間という芝居」を見ているような気持ちになってしまうのは確かだ。

 もう一つ、私は最近になって「意見過剰」な社会になったようにも感じる。多くのことに対して、何か意見を言わないといけないのではないか、と思うことが増えつつある。もちろん、何かを見聞きすれば、何かの感想を持つということはあるのだが、しかしそこにおいてデカルト的な、意見を価値のないものとして切り捨てる、という態度は何処か潔さと心地よさを持っていることは間違いない。それはどこか、異国の地で同じ他国人が出会ったときに持つ、不思議な共感に近いものを、私には感じる。

 デカルトは確かに「近代哲学の始祖」なのかもしれないけれども、個人的には「近代という病い」を勝手に引き受け、そして勝手に治ってしまった人間にも思えるし、だからこそ、デカルトには何故か妙な羨ましさを持ったりするのである。

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 次の担当はshikakunさんです。

『ニーベルゲンの歌(上)』を読む

当時の感性を現代的な感性で読むのはおかしい、という話は理解できる。だけれども、無学無能者にとって一番の足がかりというのは、今の感性である。従って、『ニーベルゲンの歌』と呼ばれるドイツの叙事詩もそういう感じで適当に読んでいたりしていたが、かなりヘンな感じであることは間違いない。その辺りについては、『ニーベルゲンの歌(上)』だけを読んだ感想を、ここにメモしておく。

『ニーベルゲンの歌』の成立は1200年頃であり、その内容は過去の叙事詩である『エッダ』や『ヴォルスンガ・サガ』などの英雄譚をパッチワークして作られたものであることが指摘されている。従って、両者に出てくる英雄であったり、あるいは話の筋自体も似たような話が出てくるということが指摘されている。

例えば『エッダ』との共通点としては、ブリュンヒルデの話がある。不思議な炎に囲まれた城壁を乗り越えられる勇士とだけ結婚しよう、とするブリュンヒルデに対し、そのブリュンヒルデを妻に迎え入れたいグンデルは、ジークフリートが身代わりになって、その炎を乗り越える。これと似たような筋が『ニーベルゲンの歌』にも出てくる。彼女は三つの競技において、自分より勝る男としか結婚しないとする話である。

かぐや姫に限らず「妻の出す課題と、それを克服することによって妻を手に入れる」という話はあるにしても、恐らく当時の人々も何やら「ヘンな感じ」がしたに違いない。そのヘンな感じというのは、単純に考えて「ジークフリートが身代わりにグンデルになって、その結果ジークフリートが悲しい目にあうのは違うんじゃないのか?」ということである。考えてみれば、そんなグンデルのワガママに付き合う義理などさらさら無いわけだ。

そう考えてみると、『ニーベルゲンの歌』におけるブリュンヒルデとグンデルの関係というのは、いささか皮肉めいているというか、当時の人たちにおいても「やっぱワガママな王様という奴はダメ」という思いを抱いていたのではないか、という印象を受けざるを得ない。

構造的に見れば、ジークフリートとグンデル王の関係は非常に似通っているところがある。英雄ジークフリートもグンデル王も、噂に聞くひと知れぬ姫に恋をする。ただし、ジークフリートが恋い焦がれているクリエムヒルトも、この見知らぬ英雄に恋い焦がれていることが暗示されるのに対して、グンデル王の場合はもっと遠い異国の王女であり、少なくともこの異国の王女については、強い男なら誰でもいいのであって、決してグンデル王ではないとは言える。

昔話的に言うならば、ブリュンヒルデが「この世ならざる女」であることは暗示されている。例えば、『ヒメの民俗学』で宮田登氏は日本の詞書の中で「女性が想像を絶する大力を発揮している姿」に着目している。そこから、非日常や隠れた信仰を現しているということを指摘している。もちろん、欧米と日本の民俗学を全く同じに扱うことはできないが、とはいえ例えばブリュンヒルデを表現するときにたびたびでてくる「妖艶な姫」という言い方は、少なくともある程度まで「この世ならざる」という側面があるということができるだろう。

ジークフリートの、クリエムヒルトを追いかける超然とした態度に比べて、グンデル王の態度はいささか頼りがない。例えば、第七歌章はまさにグンデル王が、ブリュンヒルデの試練に立つシーンであるのだが、次のように述べている。

彼は心に思うよう、「これはなんとしたことか。

地獄の悪魔といえども、これには命を真っ当するわけにいくまい。

おれが生きてブルゴントの国へかえれたら、

もはや二度とこんな女に思いをかけることはなかろう。」

まさに王様の気まぐれという言うべきか、それとも思慮の浅さというべきか。

勇敢なダンクワルトも同様に弱音を吐いている。このような異様な状況に対しても、冷静に知恵を廻して打開するからこそ、英雄ジークフリートが引きたつといえばそうであり、実際に周囲が慌てれば慌てるほど、その対比として英雄ジークフリートが輝くという構造がある。実際に、彼はその英雄的な力を、姿を文字通り消せる隠れ蓑(明らかにニーベルゲンの指輪だ)を使い、二人羽織のように、恰もグンデル王が恰も力を発揮したように助力するわけだ。

とはいえ、ジークフリートとグンデルの対比がここで終わったわけではない。もちろん、ジークフリートはグンデルに口利きをしてもらって、クリエムヒルトと婚姻関係を結びたいという側面もあるわけだから、そのような状況が必要であった、ということは出来る。だが、グンデルとブリュンヒルデの関係の滑稽さに関しては、初夜を拒まれて泣きつく第十歌書にも引き継がれる。

現状において評判の悪いフェミニズム的な見方をすれば、夫の初夜を拒もうとする女をこしらめるという状況に端的にけしからんという言い方はできる。

このブリュンヒルデ、自立的な女性な印象があり、キャラクターの造形として面白さがある。少なくとも、グンデル王やジークフリートが勝手に婚姻を決めてしまう(もちろん、クリエムヒルトが半ば納得しているとしても)のには、本人の意思は介在しておらず、結婚に際しても「私はご命令のとおりに」というわけで、慎み深い女性であることを強調しているわけだが、それに対してブリュンヒルデは「あなたみたいな女性がなんでジークフリートみたいな身分の低い男と?」なんてお節介を焼くシーンは、余計なお世話であるとはいえ、クリエムヒルトみたいな素晴らしい女性が、そんなことで満足していていいの?という問いかけであるということもできる。

俺はこういう「貴方みたいな人がそんなことでいいの」と問う女性同士のやり取りに百合を感じるタイプなのだが、それは置いとこう。先もいっているように、グンデル王とブリュンヒルデの関係である。

一度クリエムヒルトの結婚に疑いを覚えて不機嫌になり(このあたりとかも百合っぽいのだが)、グンデル王の初夜を拒む。グンデル王はダメな男であり、事を無理矢理に運ぼうとするのだが、ズルして手に入れた女性であり、元々は釣り合わぬ。気がつけばボコボコにされて吊るされる始末なのだけれども、ここの描写は滑稽で笑ってしまう。

王は彼女の愛を戦いとるために、

彼女の着衣を掻き乱した。すると凛々しい乙女は、

腰にまとっていた頑丈な打紐の帯を解いて手にとった。

かくて彼女は王に対し、手ひどい苦痛をあたえたのである。

彼女は王の手も足もともに縛りあげ、彼を一本の釘にかけて

壁に吊したのである。それは彼が妃の眠りを妨げたので、

彼に対して愛を禁止したのであった。実際彼女の膂力のために、

王はすんでのことに命も失いそうになった。

そこで、主君のつもりでいた人が、嘆願し始めたのである。

「気高い姫よ、どうかわしの縛めを解いてくれ。

美しい王妃よ、わしは今後決しておん身を征服しようなどとは思わぬ。

もう二度とおん身のそばに休みもしないから」

普通に考えれば、この描写は滑稽であり、言い換えれば「不敬的」であるが、しかしこのような側面が、英雄叙事詩に出てくるのは興味深い。で、ミソジニー的に表現するなら、このような生意気な女性をとっちめなくてはいけないわけであり、その姫を叩くのはジークフリートである。

『ニーベルゲンの歌』はそういう意味では非常に複雑であり、従って何かと散漫としている印象は否めない。言ってしまえば、パッチワークする中において、様々な要素が入り込んでいて、そういうのがあるからこそ、国民的な叙事詩なのだろうということも出来る。そして、元々考えてみれば「見も会ったこともない姫」に恋い焦がれる人間というのは、やっぱり何か変であり、その変さについて、騎士物語が廃れると同時に出てくるのか、恐らくはセルバンテスの『ドン・キホーテ』ということになるだろう。

自らの嘘に騙されて――ポスト・トゥルーズと説得力に関する覚書

岩波現代文庫には『説話の森』という書籍があり、その中に「見えなかった龍」という小論が掲載されている。さすが専門の研究として、沢山の文献にあたり、広く説話の歴史的な経緯に関しては勉強にはなるのだが、しかし解釈としては些か釈然としないところがある。

この「見えなかった龍」の小論は、『宇治拾遺物語』に掲載されている「猿沢池の龍」を巡る話についての考察である。あらすじとしては非常に簡単な話で「僧がおもしろ半分に自分の池に龍が昇るという嘘の立て札を設置したら、人々が龍を見るために集まってきた」という話であり、のちに芥川龍之介がこの話を元に『龍』という短編を書いたことで有名である。

この小論において、著者の小峯和明氏は、原本の『宇治拾遺物語』では、民衆が集まって期待したにも関わらず龍が昇らなかったことに対し、芥川龍之介がその結末として龍が昇るように改変したのを受けて、本書の中で「<もどき>を解さない近代の浅い読み方」と皮肉めいた締めくくりをしているが、しかしこの結論は何か不思議な印象を受ける。芥川龍之介の改変がどうの、ということではなく、この小峯和明氏が出した読みも、芥川龍之介が陥った「近代」という側面から離れられていないように思うからだ。

公平に述べておくならば、小峯和明氏が述べたかったことは「ひしめく」ものに表される「群衆のエネルギー」が主題となっている。大まかの部分には異論はないのだが、やはり「むしろ龍は群衆そのものにほかならない。猿沢池の渦こそが龍なのだ、と解すべきではないか」と述べたところは、芥川龍之介的な陥没にはまっているように思えてしまう。

最近の個人的な興味として、欧米のロマン主義文学を「幻視」として読むということを行っている。噛み砕いて言うならば「現実の風景」に「現実以上に生き生きとした光景を見ること」と言ってもいいだろう。幻視といえば、嘘・まやかし、日本の語彙としてはゆめうつつとなるだろうけれども、しかし見田宗介的(大澤真幸も含めて)に言うならば「夢より深い覚醒」という言い方ができる。

少なくとも、芥川龍之介の『龍』という短編は「民衆のひしめくエネルギー」が「龍そのものではないか」と思わず呟く小峰氏の解釈とそれほど変わりはしないように思える。ひしめく民衆が龍のようである、とすることと、実際に龍が見えたと改変するところに、それほど遠く距離があるわけではない――少なくとも創作の上においては。敢えて言うならば、ロマン主義的な「幻視」、すなわち民衆の熱に浮かされて「実際に見えてしまった」とするロマン主義的な描写への不満でしか無いだろう。

とはいえ、小峯氏の解読が間違っているということを言いたいわけではない。恐らく口が滑った部分ではあって、ポイントは「民衆のひしめくエネルギー」をどう捉えるかだろうと思う。

文章によれば、悪戯で人を騙したがる僧のことを「狂惑の法師」と呼んでいたらしい。その「狂惑の法師」嘘を暴かれて恥をかくといった笑い話はある(例えば、いちもつが無いと自称する僧が弄られて、陰部を露呈する話なんかそうだろう)。むしろ一般的に笑い話というのはこのようなものであると思うのが一般的な感覚であるように思う。

小峯氏が述べているように、この話の興味深いところは「民衆を騙す僧」という構造だけではなく「自らの嘘に騙される」という二重の構造になっているということが出来る。それはなぜかといえば、民衆が立て札に集まったからであり、ひしめくということはそれなりに理由があるからだろう、と僧が推測する構造になっている。

恐らく『宇治拾遺物語』のこの話が興味深いのは、初めて「ひしめく」というものの修辞的効果、言ってしまえば説得力にぶち当たったゼロポイントだからではないか、ということを考えてしまう。「嘘」というのは、本人が「つくりごと」という対象からの距離感があって初めて成り立つものであるが、そのような「つくりごと」が当人にとってもただらぬ、つくりごとではない説得力として現れる瞬間をリアリティを持って書き出しているからに他ならないように思う。

私が敬愛する社会学者の一人に大澤真幸氏がいて、その人が好きな説話の一つに、カザノヴァのエピソードがある。カザノヴァは、田舎の娘を騙すために魔法の円を描いた。すると、ちょうど天候が悪くなり、稲妻が鳴り響く。カザノヴァは、自分の描いた魔法の円に何の効力がないのを知っていたにも関わらず飛び込んだとする話である。この話から「アイロニカルな没入」、すなわち自分は嘘だと知っているのにも関わらず、恰も本当のように振る舞ってしまうとする行動のモデルを出したのであった。

元々「アイロニカルな没入」自体が説話的な構造になっている側面があり、眉にツバをつけないといけないが、しかしこのような構造自体は早くも十三世紀、「猿沢池の龍」に出てくるのが興味深い。そして、この話自体が、芥川龍之介やこの著書、そして私のように、何かしらの没入性を引き込むものとして現れているのが面白いと言える。

ちょっとだけ最近の話題に振れると、ここ最近はポスト・トゥルーズ時代と呼ばれているが、しかし個人的に気になるのは、どちらかといえば、「人々を騙すために嘘をつく」のではなく、「自分が信じることが出来ないかこそ、嘘をつく」のではないかということなのではないかと思う。

アイロニカルな没入は、まず本人に「アイロニー」がなければいけなかったが、むしろ今となっては、何をもってアイロニーとするのかが解らなくなっている。つまり「何かを信じる」ために嘘をつく。もし人々が炎上したりバズったりすれば、そこには何らかの「説得力」があるということになる。池に龍が昇るということを立て札を設えて人々が集まった時、人々を集まったことを持ってして、その立て札を信じることができるという構造になっているようにも感じるが、この辺りはこの日記に書くのには、少し長過ぎる話になる。

説話の森―中世の天狗からイソップまで (岩波現代文庫)

説話の森―中世の天狗からイソップまで (岩波現代文庫)

不可能性の時代 (岩波新書)

不可能性の時代 (岩波新書)

「疎外論的認識と物象化論的認識が対決する社会」についてのスケッチ

最近思うことで、あまり一般的はない頭のおかしいことをメモしておく。本来、日記帳というのはそういう使い方をするべきだ。それに議論がかなり粗雑で偏見に満ちていることも理解している。ただのスケッチか、あるいはポストに入っている怪文書として理解してくれれば嬉しい。

自分が「はてなダイアリーはてなブログではない!)」を始めた頃、「非モテ論壇」というものがあった。要は「モテないということはどういうことか」ということを考えよう、という話であった。その中に「モテない」ということは、男性性の束縛であるわけだから、そこから脱出しようという、「メンズリブ」、つまり「男性性からの解放」という話があったのを覚えている。つまりフェミニズムの男版である。

現状として、その当時のことを思い浮かべるにこのような「フェミニズム」の男版は流行っていない。彼女たちは自分たちの考えている何かしらを「フェミニズム」と名付けて連帯をしている。一方で、男性たちはむしろ「連帯のできなさ」が問題になる。例えば、「キモくて金のないおっさん」というのはそのような「連帯のできなさ」のリミットである、ということが出来る。

個人的な実感として、男性の不満とは一般的に「これが本来の私ではない」という部分から来ている(一般的にこれを「疎外論」と呼ぶ)。他方で、女性というのは「私が私である」ということに不満を感じることが多いように感じる(これをあえて今回は乱暴に「物象化論」と呼ぼう)。

これはかなり妄想に近い電波的な話であるが(根拠が無いのにこういうことを言うやつは、基本的に頭がおかしい)、このように形式化すると、実はなぜ「オタク」と「フェミニスト」の対立なのか、ということに辻褄があう。

元々「オタク」の自意識というのは、何処か「私は虐げられたものである」という側面が存在していた。これはあくまでも過去形の話である。ただし、これは「オタク」本人の問題であって、「オタク文化」の問題ではない(もはやオタク文化そのものは、むしろ抑圧機構になりつつある)。つまり「オタク」たちには、その「文化」の立ち位置に関わらず、そこに薄い「疎外論」的な認識が横たわっているということができる。

疎外論自体は論理的には杜撰であるのにも関わらず、それが非常に説話的には説得力があるというズレがある。例えば「本来はもっと出来るはずだ……」と歯を食いしばり、唇から血を流すという実感は、それが不合理であり、如何に現実的に正しくなかったとしても、そう感じることはある。そのような錯覚を上手く説明しているということが出来る。錯覚は錯覚なので正しくないのだが、しかしその正しくなさを正確に書いているので、正しく見えるという構造があると、自分は理解している。そして、この構造を「男社会全般」までに広げることが出来る(男は疎外を持ちえない人間とは連帯できず、疎外自体が男性であることが要因になっているわけではない)。

「アンチフェミニズム」が良く述べることとしては、「私たちは上手くやっていた。だが、フェミニズムがやってきて……」という物語であることが多い。これが事実かどうかはともかく、ポイントとしては「もしフェミニズムがいなければ本来の私であった」という構造を取ることが出来る。

だがしかし、フェミニズム(を自認する人たち)の言葉を良く聞く限り、彼女たちの問題の多くは「私が女性であること」に関する不満であるということが出来る。例えば「性のモノ化」という議論は、性に対して物象化的な契機、すなわち「現象自体がモノとして定型化される」ような契機が存在しなければ、このような議論は出てこないだろう。現象は現象であるので、様々な側面を持ちうるが、それを一元化して「こうである」というような決めつけが発生することを物象化と呼ぶとするならば、そのような「決めつけ」に対して、いらだちを覚えているということ、というように感じる。

とはいえ、私たちが社会に参入するときには、何らかの物象化的な契機を免れない。チェーン店に行くのは、食事の作法を一元化することが出来るからだ。どうしても、日常生活を送るためには、出来事に対して何らかの一つの解釈で固定する側面は否めない。

ここで重要なのは、疎外論が物語的に説得力を持つのに対して、物象化論が論理的に説得力を持つ、という対立である。重要なのは、熊野純彦が述べていたのだが、疎外論の中で生きることはできても、物象化論の中で生きることは難しいという側面がある。もし物象化論的な生き方をするならば、それは「私が私として固定化される契機から絶え間なく逃げる」、つまり私を開き続けるといった生き方になるということができる。このような「疎外論と物象化論」という二つの「説得力」がぶつかり合っている場が仮想的に「男と女」を代理しているという捉え方が出来る(もっと乱暴に言えば「疎外論的認識」こそが、今の「男という主体」を生むのであり、「物象化論的認識」こそが今の「女という主体」を生む、という見方ができる)。