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内田樹の「アメリカン・ミソジニー」という文章について

私は内田樹というエッセイスト(本来ならばレヴィナス研究者という肩書のほうが適切ではあるが、いわば文章としてはこちらのほうが適切な書き方になるだろう)の文章をたまに読んだりする。それは内田樹の文章が、ときどき、限りなくヘンなことがあるからだ…

古典を読んでいるときに露骨な偏見やら、穿った意見が出てきて妙な気持ちになることがある。最近の例でいうと、モンテーニュの『エセー』を読んでいたときに、次のような文章が出てきて、なにやら不思議な気持ちになったりていた。(以下の引用は、岩波文庫の…

ダブルスタンダードについて、あるいはなぜ大人は汚いのか

確か、ちくま新書の『満たされない自己愛』という本に書いてあったと思う。メモを紛失したので、正確な内容を提出することが出来ないが、人が怒る理由のトップは、不当に扱われたとか、あるいは無碍にされたとかそういうものではなく「ルール違反に対する怒…

不能を恐怖するということ

たぶん、女性にとって一番男性の解らないところの一つに、不能恐怖があるということだろうと思う。言わば週刊誌などを見てみると、驚くほどインポテンツを治すことについて煽っているし、それは女性の避妊薬(ピル)が認可が遅れたのと違い、六ヶ月という異…

マイナスとマイナスをかけたらプラスであることについて

私は一時期、整数論を少しやっていたことがある。やっていた、とはいえ、実際のところはテキストの最初のほうを流し読みしたくらいで、実際のところは「なるほど、わからない」ということで、その整数論の教科書みたいなものを直しては諦めたりしている。 そ…

防御は最大の攻撃

私は二年前ほど、文章修行だと言わんばかりに、図書館に毎日出かけては、一生懸命ノートを取っていたことがある。久しぶりにそのノートの一つであるスローターダイクの『シニカル理性批判』を取り出して眺めているのだが、本の実際にその根拠というか論旨と…

動物を性的に見ることについて

宗教に於いて、禁則事項というのがたびたび問題になる。昨今の問題で言うと、例えば同性愛を認めるかどうかという問題が、その一つであり、今日でもキリスト教原理主義者は同性愛に対して強い拒否反応を示すことがたびたび指摘されてはいる。 しかし、動物性…

真木悠介氏の『気流の鳴る音』には、こんな文章が書かれてある。 身体障害者がたとえば片手で食事をする。ごはんをこぼしたり奇妙な身の動かし方をしたりする。それは一般の人間にコッケイだという感じを与える。しかしそれを笑ったりすることは許されないこ…

1994年の『社会学辞典』から「搾取」という言葉を調べる

つい最近、死去なされた社会学者の見田宗介が編集委員となって発刊された『縮刷版・社会学事典』が手元にある。今となっては時代背景もあり、古臭い説明も多いのだが、しかし同時に現代的な説明ではないが故に、はっと見開かされることがある。例えば、「搾…

ライオンは立派だが、狼はやっぱり悪党だ

良く知られていることであるが、グリム童話はグリム兄弟によって集められた昔話が元になっている。しかし、その昔話というのが、いわば上品な方々が顔を顰めるものであったため、版を重ねるごとに改修されていき、いわば元の話とは似つかぬものになってしま…

真実を口にすれば嫌われる

つい最近、『サミング・アップ』(モーム)を読んでいたのだが、そこに興味深い一節があった。 もし真実が最高の価値の一つであるのなら、真実がなんであるのかが誰にも正確に分からないというのは奇妙だ。哲学者は真実の意味に関していまだに争っていて、対…

人を騙すために本当のことを言う

内田樹の『他者と死者』(文春文庫, 2011) という本には、フロイトの『機知』に書かれていたというジョークが引用されている。 列車の中で独りのユダヤ人がもう一人のユダヤ人に尋ねた。 「どこへ行くのかね」 「レンブルクさ」 すると尋ねたユダヤ人は怒っ…

鈍感化する社会、あるいはマナーの起源

私の知人に少し変わった知人がいた。 その知人はパスタが大好きだ。それだけだったら普通なのだが、パスタが好きなのにも関わらず、箸で食べるのを好んでいた。それで、箸でなんで食べるのか聞いてみたところ、食器と金属がぶつかる音に耐えることが出来ない…

無縁の居場所

私は喫煙者である。 そして、パイプたばこを嗜んでいる。 しかし、パイプたばこというのは、コンビニには置いていない。なものだから、わざわざ自宅から離れたタバコ屋に買いに行くことになる。だいたい徒歩にして二十分程度なのだが、その途中に無縁仏を供…

拝啓、市民社会

ネットの知り合いつてでオフ会に出かけた時のこと、私の活動を昔から知っている精神科業の方が「似非原さんはパブリックエネミーですから」と述べたことをヘラヘラと笑いながら「まぁ、そうだよね」と思いながらスルーしていた。だが、帰って一人で1.8リット…

あまりにも現実的な戦争

何かの惨事が勃発した時、まず最初にそれがどれだけ「非現実的なもの」であるか語られることがある。9.11の時もまさに「これは果たして現実であるのだろうか」という問いから出発していたと思う。 だが、一方で「まさにこれが現実なんだ」と思わされる惨…

「認知の歪み」のことだけ考えてもどうにもならない

スピノザは『エチカ』において「誤った観念が有するいかなる積極的なものも、真なるものが真というだけでは、真なるものの現在によって除去されはしない」と述べている。これは複雑ではあるが、この一文(スピノザは定理と呼んでいるが)の備考によれば、こ…

デカルト再読

この記事は 2021 Advent Calendar 2021のために書かれたものです。前日のエントリはこちら。 ◇◇◇ デカルトについて、初めて熱心に読んだのは、確か二十五歳くらいの頃だったと思う。山形浩生のプロジェクト杉田玄白の一つとして寄稿された『方法序論』を、私…

『ニーベルゲンの歌(上)』を読む

当時の感性を現代的な感性で読むのはおかしい、という話は理解できる。だけれども、無学無能者にとって一番の足がかりというのは、今の感性である。従って、『ニーベルゲンの歌』と呼ばれるドイツの叙事詩もそういう感じで適当に読んでいたりしていたが、か…

自らの嘘に騙されて――ポスト・トゥルーズと説得力に関する覚書

岩波現代文庫には『説話の森』という書籍があり、その中に「見えなかった龍」という小論が掲載されている。さすが専門の研究として、沢山の文献にあたり、広く説話の歴史的な経緯に関しては勉強にはなるのだが、しかし解釈としては些か釈然としないところが…

「疎外論的認識と物象化論的認識が対決する社会」についてのスケッチ

最近思うことで、あまり一般的はない頭のおかしいことをメモしておく。本来、日記帳というのはそういう使い方をするべきだ。それに議論がかなり粗雑で偏見に満ちていることも理解している。ただのスケッチか、あるいはポストに入っている怪文書として理解し…

日本のお笑いについて幾つか

日記。 ここ最近は「お笑い芸人」の人種差別ネタについてヤンヤと言われている。 この手の素朴さというのは、俺なんかが指摘するまでもなく、日本社会には人種差別がないということを当たり前のように考えているからかこそ生まれるものであるということは、…

ボードレールを久しぶりに読んで、背筋が伸びるような気持ちになる

文章を読んでいると、何だか背筋が伸びるような気がする書き手というのが数人くらいいるのだが、その一人にボードレールがいる。 例えば『パリの憂鬱』と称された散文詩集の中に、貧しき子供に、自分の手元にあるパンを少しご機嫌に渡したときの様子が書かれ…

イメージのモノ性

日記。 正直、特に書くことはないのだけれど、それで書かないとなると、単なる三日坊主に終わってしまうので、無理して頭の腰を叩いて、メモしておく。 「何かを書く」というときにおいて、現実を書けば現実になるという素朴な感覚には、あまり馴染めない。 …

現代詩の鑑賞、『高岡修詩集』から一篇

日記。 増田聡が次のようなことを述べている。 この国は詩人を尊敬しない。照準が定まらないふわふわした言葉を見るや「ポエム」と呼んで揶揄するような国だ。だからこの国の人は言葉を粗雑に扱って恥じない。でもな大事なことを教えておこう。言葉というも…

病気と嗜癖、解決

日記。 ちょっとだけ気がついたことに、意識的には自分の親はマトモで、こんな息子に育ってゴメンナサイ、という気持ちがあったのだが、精神疾患に関する医者のコラムを読んでいると、こういった「パーソナリティ障害」が顕在化する理由の一つに、親との関係…

ウェブ小説を書くことの恥ずかしさについて

日記。 最近は小説を書いている。 novelup.plus kakuyomu.jp 前者は、非転生系のギャグファンタジーだけれども、歴史考証があまりちゃんとしていないので、そのあたりに違和感があるかもしれない。 後者は、一発系の不謹慎ネタ。ただ不謹慎なだけなので、真…

「愚かさの弁護」について――エラスムスの『痴愚神礼賛』を読む

日記。特に結論は無い。 蓮實重彦という、フローベルを研究するフランス文学者が書いているところによると、「凡庸」の対義語は「才能」や「天才」なのではなく「愚鈍」である、ということらしい。このようにして蓮實重彦の名を借りて「愚鈍」について語るこ…

Twitchでゲーム配信をする異常者が、異常者に粘着されるというこの世の地獄よ

「異常者」という奴のは、ちょっとコミュニティーを変えれば違う自分を見せられると勘違いするが、これが甘い考えであって、異常者というのは何処へ行っても悪目立ちするから異常者なのだ。だから、異常者がコミュニティーを渡り歩くことを「焼畑農業」とい…

底辺バーチャルYoutuber・芥川ドラゴソはなぜゆえに底辺なのか

ブンブン! ハローユーチューブ。とにかく、右も左もバーチャルYoutuber時代であり、様々なバーチャルYoutuberがいる。これからも、続々とバーチャルYoutuberになる人が出てくる。 で、流石に流行モノだけあって、バーチャルYoutuberになれば注目されるかとい…