Archive

2019-01-01から1年間の記事一覧

『ニーベルゲンの歌(上)』を読む

当時の感性を現代的な感性で読むのはおかしい、という話は理解できる。だけれども、無学無能者にとって一番の足がかりというのは、今の感性である。従って、『ニーベルゲンの歌』と呼ばれるドイツの叙事詩もそういう感じで適当に読んでいたりしていたが、か…

自らの嘘に騙されて――ポスト・トゥルーズと説得力に関する覚書

岩波現代文庫には『説話の森』という書籍があり、その中に「見えなかった龍」という小論が掲載されている。さすが専門の研究として、沢山の文献にあたり、広く説話の歴史的な経緯に関しては勉強にはなるのだが、しかし解釈としては些か釈然としないところが…

「疎外論的認識と物象化論的認識が対決する社会」についてのスケッチ

最近思うことで、あまり一般的はない頭のおかしいことをメモしておく。本来、日記帳というのはそういう使い方をするべきだ。それに議論がかなり粗雑で偏見に満ちていることも理解している。ただのスケッチか、あるいはポストに入っている怪文書として理解し…

日本のお笑いについて幾つか

日記。 ここ最近は「お笑い芸人」の人種差別ネタについてヤンヤと言われている。 この手の素朴さというのは、俺なんかが指摘するまでもなく、日本社会には人種差別がないということを当たり前のように考えているからかこそ生まれるものであるということは、…

ボードレールを久しぶりに読んで、背筋が伸びるような気持ちになる

文章を読んでいると、何だか背筋が伸びるような気がする書き手というのが数人くらいいるのだが、その一人にボードレールがいる。 例えば『パリの憂鬱』と称された散文詩集の中に、貧しき子供に、自分の手元にあるパンを少しご機嫌に渡したときの様子が書かれ…

イメージのモノ性

日記。 正直、特に書くことはないのだけれど、それで書かないとなると、単なる三日坊主に終わってしまうので、無理して頭の腰を叩いて、メモしておく。 「何かを書く」というときにおいて、現実を書けば現実になるという素朴な感覚には、あまり馴染めない。 …

現代詩の鑑賞、『高岡修詩集』から一篇

日記。 増田聡が次のようなことを述べている。 この国は詩人を尊敬しない。照準が定まらないふわふわした言葉を見るや「ポエム」と呼んで揶揄するような国だ。だからこの国の人は言葉を粗雑に扱って恥じない。でもな大事なことを教えておこう。言葉というも…

病気と嗜癖、解決

日記。 ちょっとだけ気がついたことに、意識的には自分の親はマトモで、こんな息子に育ってゴメンナサイ、という気持ちがあったのだが、精神疾患に関する医者のコラムを読んでいると、こういった「パーソナリティ障害」が顕在化する理由の一つに、親との関係…

ウェブ小説を書くことの恥ずかしさについて

日記。 最近は小説を書いている。 novelup.plus kakuyomu.jp 前者は、非転生系のギャグファンタジーだけれども、歴史考証があまりちゃんとしていないので、そのあたりに違和感があるかもしれない。 後者は、一発系の不謹慎ネタ。ただ不謹慎なだけなので、真…

「愚かさの弁護」について――エラスムスの『痴愚神礼賛』を読む

日記。特に結論は無い。 蓮實重彦という、フローベルを研究するフランス文学者が書いているところによると、「凡庸」の対義語は「才能」や「天才」なのではなく「愚鈍」である、ということらしい。このようにして蓮實重彦の名を借りて「愚鈍」について語るこ…

Twitchでゲーム配信をする異常者が、異常者に粘着されるというこの世の地獄よ

「異常者」という奴のは、ちょっとコミュニティーを変えれば違う自分を見せられると勘違いするが、これが甘い考えであって、異常者というのは何処へ行っても悪目立ちするから異常者なのだ。だから、異常者がコミュニティーを渡り歩くことを「焼畑農業」とい…