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鈍感化する社会、あるいはマナーの起源

 私の知人に少し変わった知人がいた。

 その知人はパスタが大好きだ。それだけだったら普通なのだが、パスタが好きなのにも関わらず、箸で食べるのを好んでいた。それで、箸でなんで食べるのか聞いてみたところ、食器と金属がぶつかる音に耐えることが出来ないらしく、その結果として箸で食べるようになったという。

 私自身は、近くのコンビニでパスタを買うときに、店員に「フォークか、箸か」を聞かれずに、たいてい雑に箸を入れ込まれて、家に帰ってから困ることがあったのだが、なるほど、パスタで箸を食うという層にはこういう人たちもいるのか、ということを思って、面白がったりしていた。

 私は彼のその話を聞いた時に、直感的に「マナー」の起源というものがわかったような気持ちになったのである。

 海外のマナーについての話を聞いてみると、それは「音にまつわるもの」がちらほらあったりする。例えば食べ物を啜る音であったり、あるいは食器をカチャカチャ鳴らすものであったり。それ自体についての起源は全く解らない。恐らく偉い人が食器をカチャカチャ言うのに怒って、食器を鳴らす奴は死刑と言ったかもしれないし、あるいは社会学的には「音を鳴らす」ことを下品とするような文化になっていったということも推測できる。

 しかし、考えてみれば知人のように食器をカチャカチャ鳴るのが、耳に突き刺さって耐え難いひとがいるように、咀嚼音が苦手な人も必ずいるはずだ。言ってしまえば、恐らく「マナー」というのは、そのような過敏性に対しての配慮ということが可能だろう、ということができる。

 これは概念にも応用が出来る。例えば、寄席のさいに、足が不自由な人であったり、目が不自由である人が話を聞きに来たさい、演者の人たちにそのことを伝え、そういったネタをすることを避けるようにお願いしたという。それは一種の演者おけるマナーという側面があるし、不用意な恨みを避けるという側面もあろう。だが、もう一つとしては、自分の障害をネタにされることが耐え難く辛いという人もいるはずで、それも一つの配慮だと思う。

 見田宗介は、柳田國男が記憶した近代の色彩感覚について、次のように紹介している(『定本 見田宗介全集2』の「魔のない世界」より)。

この「禁色」と対比して柳田國男が「天然の禁色」と名づけているのは、権力による支配ではなく、民衆の自発的な社会心理というべき禁色でした。この自体の日本人は、染料技術的には相当に派手な色彩も利用できたのですが、色彩には「わざわざくすみをかけて」地味な色彩として用いていたという。柳田はこのことの理由について、それは人々が色彩について、「あまりに鋭敏」であった」結果であると観察しています。別のところでは、「あまりに痛切なるゆえに」鮮明な色彩は用いることができなかったのだと書いています。似たような心の動きは、例えば純白の衣類(カミシモなど)を、イロギ、イロカミシモ、イロギガミなどと、隠語化して表現する言い方にあらわれています。「白」という色は、あまりに「清すぎ、また、明らかすぎた」から、いわば、電流の流れているような言葉で、ストレートに口にすることを避ける心理が働いていた。「天然の禁色」ということの言葉には、人々の感受力、あるいは感動能力というべきものの、強さ、鮮烈さが存在していた。(p.26)

 ここで重要なのは、見田宗介が過敏的な反応に対して同意しているということだろう。

 確かに、この色彩感覚に似た体験をしたことがある。以前に、とある勉強会のついでに東大の構内を歩いた時、真っ黄色になった銀杏が地面を埋め尽くしてたときに、それがまるでペンキをこぼしたかのように黄色だったことに感動したことを覚えている。私はそれ以上に印象的な黄色は人生にまだ現れたことがない。

 病状とはそれ自体が社会との関係性という側面は大きい。見田宗介が引用する「赤への感性」はこれ自体が一つの過敏な反応だとも考えられる。

 そして、この章の最後に引用された、柳田國男の「現代人は少しずつ常に昂奮している」という言葉、むしろ私たちが何処か鈍感であることを当たり前とする社会を選んだとも言える。その鈍感さというのは、他ならぬ商品や広告が満ちる社会において生き延びるために、生命が選んだことでもあるのだろうとは思う(当然だが、いちいち目を引く広告や、欲しがってもらう商品達に目を奪われたら身が持たないのだ!)。

 また、今宵の広告に対するフェミニスト達の抗議がいまいち通じないのも、これは逆説的なことではあるが「現代人は少しずつ常に昂奮している」が故に、不感症になっているということでもあるのだろうと思う。