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Backbone.jsをいじりはじめての感想

 Backbone.jsをいじって、アプリケーションの準備をしているのだけれども、Backbone.jsは何かと便利だ。とはいえ、それほどBackbone.jsらしいメリットを享受しているわけではないのだが、しかし何かしらの基準があるということは素晴らしいことだ。正直、Backbone.jsのMVCの分け方は少し不器用な感じがしなくもないのだけど(個人的には、ControllerからRouterに名前が変わったところにそういうのを感じてしまう)、でも基準が生まれたことによって書きやすくなっている部分はある。まさに背骨。

 以前に「大規模、大規模というけど、お前の言う大規模とは何か」みたいな話をされてしまって、考えてみればそれほど大規模ではなかった。というより、ミサワ的なドヤ顔をしたいために大規模、太規模言っているだけだった。反省。中規模?ただそういうことを考え始めるとただの定義問題となってしまう。基本的には「ファイルを分けていく必要があれば、とりあえずそれは中規模くらいに考えてもよさそう」という感じの気持ちはある。既に羊頭狗肉になっているけど、気にしないことにする。

 とはいえ、じゃあ「ブラウザに読みこませるためのチューニングアップ的な奴」以外にファイルを分ける必然性があるときってどんなときだろう、というと、自分としては「変更可能性がありそうなパーツを一まとめにしておく」という感じでまとめたりしていた。例えば、Backbone.jsを使う前は、下のような感じだった。

  • フォームの値をParseしてデータ構造を作ってくれる関数一式
  • 受け取ったデータ構造からHTMLを組み立ててくれる関数一式
  • イベントと実際の挙動を結びつけるための関数一式
  • 実際の挙動

 みたいな。こういう分け方だったので、結果として、Backbone.jsに手直しするときも、それなりに楽だった気はする。逆に、こういう構造だったときに、辛かったのは、DOM構造自体を一種のModelみたいな扱い方をしていたという点であるところと、あとEventがひとまとまりになっていたので、どの部分がどのEventを必要としているのか、という見通しができなくて、ちょっと辛いことになっているくらいだった。

 逆にBackbone.jsでなれてなかったのは、Model、Collectionをどう取り扱うのが一番いいのか、とか、あと元のURLの仕様自体が別段Backbone的に構成されているわけではない(RESTfulにMethodでPUT/DELETEとか使う感じでは無い)ので、そのあたりを調節していって、現在利用しているフレームワークの利用的に辛い部分とかがちらほらしていたことくらいかなーとは思う。このあたりに関しては、本気で使いたくないときはチューニングできるっぽいので、それはそれでいいかなと思う。現時点では、Backbone.jsにはそれなりに満足している。

逃げ場所としてのもう一つの言語

 業務上はPythonを使っている人間で、普段はゴリゴリとPythonを書いている。で、家に帰ったりすると別枠のプロジェクトでJavaScriptを書いたりする。自分としてはPythonは書きやすい言語であるんだけれども、どうしても何時間も眺めていると、さすがに嫌になることがあって、そうなると別の逃げ道としてJavaSciptを書いたりして癒されたりする。

 往々にして、好きなものを仕事にするな、とはよく言われているし、たぶん帰ってからもコードを弄るのは、やっぱりそれなりに好きだからできることである(少なくとも一般人よりは!)証拠ではあるんだろうけれども、やっぱり体調が悪かったり、機嫌が悪かったりすると好きなものでも、嫌いになったり、お腹に入らなくなる。たぶん、唐揚げは好きだけど、唐揚げばっかり食べていると暫く見たくなくなるとか、そういう話であると思う。

 なので、帰ってからはずっとJavaScriptをやり、最近ではBackbone.jsでどうやってコーディングしようか的なことをずっとやっている。気分転換は必要だし、逃げる場所は必要だ。とはいえ、それがプログラミングに偏っている必要は無いんだけど。

未だ僕達には松葉杖が足りない

 個人的には、自分のことを、一般人と比べると無能だと思っている。で、その無能の根拠というものが、要するに「周りの人が当たり前にこなせることをこなせない」という理由だったりする。

 で、そういう自分の無能さに対して思う感情というのは、二つある。まず一つに「あー、俺はこの点が駄目だから直さないと駄目だな」ということで、これに関しては、たぶん俺以外の人も思っていることで、この感情自体は特に珍しくはないと思う。それに対して、もう一つ思うこととしては「たぶん松葉杖が足りていない」という感情だ。

 よくわからないけれど、俺は「他の人には必要ではないかもしれないけど、自分にとっては生活を送るために必要な支え」というものの象徴として、「松葉杖」というのをとても気に入っていたりする。

 そして、どうしてそう思うかというと、自分のどこかで「精神というか、意識というものには限界がある」と思っていて、確かに自己啓発書を読んで、自分の意識を奮い上がらせるというのは、モチベーションをあげるという点では、有効であることがあるのかもしれないけど、やはりそれだけだと限界がある。自分も、何度も習慣化しようとして失敗したことがいくつかある。人は環境に支配されるし、逆にいっちゃえば、意識なんていうものも、道具によってなんとかなったりする。

 だから、たぶん何度も失敗したり、あるいは改善しようと思っても出来ないこととというのは、それは本人にとって自然な行動だからではない。そして、自分が特殊な人間でない限り、同じようなことで悩んでいる人はたくさんいる筈なのだ。

 そして、同じようなことで悩んでいる人がいるということは、そればたぶん「問題」である可能性がある。

 たぶん、「出来がいい人」であったり、あるいは「優秀な人」は、その「問題」が問題としてぶつかる前に、解決することができる人だったりするわけなんだけど、そうすると、「問題」は一瞬のうちで問題では無くなってしまう。つまり、問題が無かったことになってしまう。

 で、恐らく「出来る人」というのは、ある意味でその「問題」を無かったことに出来る人だったりして、確かにその能力があることはいいことだとは思うのだけれども、しかし一方で、その問題を解決するような何かしらの道具があったらいいのになあ、と思うこともある。

 当然、なんらかの問題があったとしても、その問題があることを忘れてしまったり、あるいは自分なんかもそうだけど、無能であるが故に、その問題の解決方法が思い浮かばなかったりする。そのあたりは、「問題」と「解決」のシェアリングみたいなものができればいいんだけど、とは思う。

初めてのソーシャルゲーム雑感

 そういえば数日前に、自分のところにもソーシャルゲームの流れがやってきて、「知人にレアカードが手に入るんだったら」ということで、気軽に招待コードを入力してプレイしたりなんかをしていたが、数日やっただけで飽きてしまった。その代わりに家庭用ゲームのドラゴンズドグマで遊んだりしている。

 これに関しては、自分なりの結論は出ていて、「このゲームの形態は、たぶん俺には楽しむ回路というのが存在しないんだろうな」くらいの気持ち。で、たぶん周囲の人間がハマってなかったら「じゃあ、またの機会に」ということになるんだけど、辛うじて周囲の友人がずっとそれらをやりつづけていて、いい機会ではあったので、なんとなーく「ああ、この辺が面白いんだろうな」と思うところをメモしておく。

 たぶん、まず一つに「集めるのが楽しい」という側面が必要なんだろうなとは思う。自分もカードダスという、デフォルメされたガンダムの絵(SDガンダムだね)が描いてあるカードが集めていたことがある。多くのカードは普通なんだけど、たまにラメみたいなのが入ったキラキラしたカードが出てきて、それを集めるために小遣いをすっからかんにして怒られたことがあって、今流行りの言葉で言うと射幸心ということなんだろうけど、その前提になる「集める」という欲については、それがどれだけ中毒性があるものなのかは、それなりには想像はできる。

 想像はできるんだけど、たぶんベクトルにもよるんだろうなとは思っていて、GREEとかDeNAのソーシャルアプリだと、そこまで露骨なものはないのらしいんだけど、レアになればなるほど、女性キャラクターの露出度が上がったりするゲームがあったりする。要するに「かわいいキャラクターだけを集める」というのであったり、あるいは「かっこいいキャラクターを集める」という側面があって、仲間で「どのキャラクターがかわいいか」「このキャラクターはエロい」なんていう情報交換をしていた。乱暴というか、おもしろおかしくいうなら「なるほどねー、ギャンブルの他にキャバクラも兼ねているのかー」と思ったりしたけれども、そういう風に「かわいい子で固めておきたい」みたいな感情というのも重要であるんだなと。僕が考えた最強のパーティーというところ。

 もう一つ、やっぱりある程度仲間同士の協調感というのも必要で、例えば何かしらのイベントがあったりすると友達同士で敵を撃破する、みたいなことをやったりするわけなんだけれども、例えば自分みたいに天邪鬼だったりすると、少し退いた目で見てしまって、「まあいいかな」と思ってしまう。たぶん、既に「あ、このカードを集めたいな」という欲求が無いからかもしれない。この辺は協力的というか、ちゃんとイベントに参加する律儀さというか、勤勉さというのも重要になってくるのかなと。あとは単純に、人を集めるのが好きとか、集まるのが好きとかそういう感じ。

 この辺りに関しては、たぶん色々と多様性がある可能性はあるので、一概には言えないんだけど、感想としては上のような感じになっている。