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未だ僕達には松葉杖が足りない

 個人的には、自分のことを、一般人と比べると無能だと思っている。で、その無能の根拠というものが、要するに「周りの人が当たり前にこなせることをこなせない」という理由だったりする。

 で、そういう自分の無能さに対して思う感情というのは、二つある。まず一つに「あー、俺はこの点が駄目だから直さないと駄目だな」ということで、これに関しては、たぶん俺以外の人も思っていることで、この感情自体は特に珍しくはないと思う。それに対して、もう一つ思うこととしては「たぶん松葉杖が足りていない」という感情だ。

 よくわからないけれど、俺は「他の人には必要ではないかもしれないけど、自分にとっては生活を送るために必要な支え」というものの象徴として、「松葉杖」というのをとても気に入っていたりする。

 そして、どうしてそう思うかというと、自分のどこかで「精神というか、意識というものには限界がある」と思っていて、確かに自己啓発書を読んで、自分の意識を奮い上がらせるというのは、モチベーションをあげるという点では、有効であることがあるのかもしれないけど、やはりそれだけだと限界がある。自分も、何度も習慣化しようとして失敗したことがいくつかある。人は環境に支配されるし、逆にいっちゃえば、意識なんていうものも、道具によってなんとかなったりする。

 だから、たぶん何度も失敗したり、あるいは改善しようと思っても出来ないこととというのは、それは本人にとって自然な行動だからではない。そして、自分が特殊な人間でない限り、同じようなことで悩んでいる人はたくさんいる筈なのだ。

 そして、同じようなことで悩んでいる人がいるということは、そればたぶん「問題」である可能性がある。

 たぶん、「出来がいい人」であったり、あるいは「優秀な人」は、その「問題」が問題としてぶつかる前に、解決することができる人だったりするわけなんだけど、そうすると、「問題」は一瞬のうちで問題では無くなってしまう。つまり、問題が無かったことになってしまう。

 で、恐らく「出来る人」というのは、ある意味でその「問題」を無かったことに出来る人だったりして、確かにその能力があることはいいことだとは思うのだけれども、しかし一方で、その問題を解決するような何かしらの道具があったらいいのになあ、と思うこともある。

 当然、なんらかの問題があったとしても、その問題があることを忘れてしまったり、あるいは自分なんかもそうだけど、無能であるが故に、その問題の解決方法が思い浮かばなかったりする。そのあたりは、「問題」と「解決」のシェアリングみたいなものができればいいんだけど、とは思う。