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黙っているユーザーは黙って離れていく

 ここ最近は、Steamとか呼ばれている、ゲームのプラットフォームみたいなもので、ずっとゲームをやって過ごしたりしている。本来、自分がゲーマーではあって、暇さえあればゲームばっかりしていた時期もあったりした。

 Webエンジニア的には、ゲームの話といえば「ソーシャルゲーム」の話が盛り上がっているみたいな話がちらほらあって、さらにいうと、パッケージングされたゲームの規模が縮小している、という話がある。なるほどなーと思う一方で、機会があれば、パッケージゲームみたいなのをたくさん買ったりして、さらにソーシャルゲームにはあんまり興味がない自分としては、なんかその食い違いみたいなのが面白くて、なんか不思議な気持ちになるのだった。

 たぶん、自分みたいなゲーマーであったり、あるいは、音楽の世界でもそうなんだけど、そういう人々というのは、たぶん「ゲーム業界」であったりとか、「音楽業界」という、いわゆる『業界』みたいな話が好きな人も幾らかいると思っている。僕も外野から眺めたりしていて「これってもう少しこう変えたら上手くいくんじゃないの?」みたいなことを考えるのだけれども、あんまりそういうを言うのは、少し罪悪感があったりする。その理由はわかりきっていて、自分がいわば市場に出て銭を切り売りしている、自分の言葉でいうなら「プレイヤー」ではなく、単なる消費者に過ぎないわけだし、そもそもそういう世界に詳しくないから、そういうのを言うのもどうなのかなー、みたいな気持ちにはなったりする。

 あと、実は、自分を取り巻くゲームの世界に関して、特に不満を持っているわけじゃないというのもある。自分の消費行動を見返してみても、結局のところ、「安くて面白いゲームが手に入れば、それでいいのではないか」というくらいの気持ちでしかないことに気がつかれるし、そのためにわざわざ「これがおかしい」というのも滑稽な話であって、現実問題として手に入っているのだから仕方ない。

 で、この辺りは別にゲームに興味が無いひとにとっては「ふーん」という感じなのだけれども、実際のところ、消費者というのは、そういうものなのだ、というのにはっと気がついたりする。

 それはどういうことかといえば、つまりそこで手に入るものが納得する価格で、面白いものが手に入ればいいわけで、暴論を言ってしまえば「その業界がどうなるかどうか」というのは、それ自体は瑣末なことなんだろうな、ということだ。もちろん、愛好家の人達にとっては、その市場が減ると、自分たちが「楽しい」と思えるものが少なくなるだろうという危機感が生まれるというのはあるんだろうけど。

 で、下手にその業界というのが大きかったりすると、割とその体制を維持したり、保守的になるというのは、割とある話だと思うし、それらをなんとかするとするなら、その「なんとかする」という部分で、何らかの形でプレイヤーになる必要は出てくるんだろうなという気がする。ただ、プレイヤーというのが「起業」とかそういう話になると、ちょっと難しい話ではあるんだけど。

 なんていうか、冬になると、そうやって黙っていく人のことを考える気持ちになったりしていた。あんまり明確な結論はではない。