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「悪い脳」をハックする

 たぶん、多くの人々は、自分のことを「良い人間」だと思うところがあると思う。どんな悪い人間にしろ、「自分は賢くやっている人間」であるとか、そういう風に自分を規定しているところはあると思う。もちろん、自己否定に走りがちな人間も多くいるとは思うし、自分も立ち止まると、そういう意識が入ってくる人間だから、分からないことはない。そういう人間でも、周りに良く見られたい、とかはあると思う。

 やっぱり、自分は悪い奴だというか、性格が悪い人間だと自覚させられる瞬間は何度かある。例えば、人を小馬鹿にしたいとか、見下したいとか、そういうの。そういう心情的な部分は無いほうがいいんだけど、でもそういうのは存在してしまうのは仕方ない。そして、その心情というのはなかなかやっかいで、もしかしたら直らないかもしれないし、無理に直そうとすると、変な風に曲がってしまう、ということもたぶんある。

 そのあたりに関しては、フロイトという精神分析の人が、「昇華」という概念を使ったりしている。これは防衛機構全般のことを指したりすることもあるんだけど、もう一つは「成功した防衛機構」と呼ばれたりもするらしい。要するに、自分の欲望が社会的な価値にトランスレートできたときのことを指す。例えば、自分の破壊衝動を文章とか絵にぶつけたりとする、といった場合だ。

 この考え方自体は、好きだったりする。

 例えば、「誰かに認めてもらいたい」から絵を描くとか、あるいは「モテたいから」バンドをやる、といったようなそういう動機付けというのはやっぱりある。そういうのがあって、そこから作品が生まれることは悪いことではない。逆に言うと、そういうのが強烈なモチベーションになったりする。例えば、二次創作やRemix作品に対する「リスペクト」という言葉は、ちょっと立ち止まることがあって、たぶん憎悪から生まれた作品であったとしても、それがいいものであるならば、むしろそれでもいいと思うし、僕はどちらかというと、そういうものに振れてきた人間だから、どちらかというとそういうのに少し親近感を覚えてしまうのだろう(たぶん、僕たちが責めるべきなのは「作品に対するリスペクトを欠いている」のではなく、「作品の完成度が余りにも負けている」という状態だと思う)。

 とあるところで、僕は「上から目線駆動学習」というのを説明したことがあって、それはどういうことかというと、要するに「人を小馬鹿にしたい、見下したい」というのがきっかけで勉強を始めることはあるということを話した。それは僕の悪い部分ではある。もちろん、この方法には欠点があって、容易にコストパフォーマンスの高い「バカにしたい」という結論を導きだしてしまうことだ。要するに「天狗になってしまう」という場合だ。しかし、それも悪いことではない。「天狗になる」ということは、場合によっては、何かしらの行動に移すきっかけとなるからだ。「自分になら出来る」という全能感がないと、踏み出せない一歩というのもある。

 たぶん、そういう「否定したい自分」というのは、もしかしたら運用次第によっては、「肯定したい自分」という可能性が秘められたりする。どんな物事であれ、それは両義的な価値を秘めていることが多々ある。ガソリンが、暫くの間は実用に耐えられなかったように、そういうゴミみたいな道徳みたいなものが、ちょっとズレているところに、もしかしたら、価値を転換できるような何かが秘められている可能性だってある。

 もう一つ。精神分析が示唆するところによれば、「自分が自分の意識として考えている欲望というのは、実は錯覚かもしれない」という話がある。つまり、自分の欲望に忠実になるというわけではなく、その欲望をこなそうとする遠回りに、もしかしたら自分の内なる欲望が隠されているのかもしれない、と考えると、ちょっとだけ面白い気もしてくる。