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デカルト再読

 この記事は 2021 Advent Calendar 2021のために書かれたものです。前日のエントリはこちら

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 デカルトについて、初めて熱心に読んだのは、確か二十五歳くらいの頃だったと思う。山形浩生のプロジェクト杉田玄白の一つとして寄稿された『方法序論』を、私はその翻訳についての真偽はともかくとして、熱心に熟読検討した。そして淡々と冷静な文章の中に潜む痛ましさに惹かれ、そしてそこからドラマティックに快活になるデカルトの姿を見て、ちょっとだけ感動したものだった。

 なので、改めて三十代になって、さらに言うならば二〇二一年になって、改めてデカルトを読み直してみると、何だか故郷に帰ってきたような、あるいは似たような傷を持つ人間のように感じてしまい、何やら勝手な親近感を持って読めるようになってしまった。恐らく、それは最初読んだ時にも感じていたからかもしれないし、あるいは辛酸を舐めて、そのような機敏について、過敏になっているからかもしれない。

 私自身は研究者ではなく、単なる趣味人に過ぎない。

 正直に言ってしまえば、デカルトの哲学部分に関しては古臭さしか感じない。

 しかし人間としてのデカルトについては、深く共感を持って読んでしまうのだが、そのような共感というのは得てして哲学的営みとはズレた、こちらの身勝手な投影――自分の問題意識を他人に押し付けるような――に過ぎない。

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 例えば、私の好きな思想家の一人にアドルノという人物がいる。

 アドルノはホルクハイマーと共に『啓蒙の弁償法』という本を書いた人である。この本の問題意識というのは、いわば「人間は以前よりも啓蒙され、知識もあり、見識も深くなったのに、どうしてアウシュビッツのような野蛮な虐殺を行うようになってしまったのか」という歴史の逆説を説明することにある。

 その内容はともかくとして、私はデカルトにも同じような戸惑いを感じる。

 『方法序説』の第一部の最初の部分において、「ほかの人々のもっているような、すばやい考えを、はっきりしてまぎれもない想像を、内容豊かな、またすぐにこたえてくれる、記憶を、もちたいと望んだ」と述べている。

 また、彼は学業を終えて、学者の仲間に入ったときに「多くの疑いと誤りに悩まされ」、「自分の無知」をあらわにしたということを述べている(生涯によれば、彼が入った軍隊の中に、極めて明晰で優秀かつ野心的な自然学者がいたらしいことが述べられている)。

 社会学者が社会のことを研究するのは「世の中」について知らないからで、心理学者が心理について研究するのは「人の気持ち」のことをよく知らないからだ、というのは良く言われる揶揄だったりするが、哲学者が「哲学」のことを研究するのは「理性」について知らないからだ、とも言える。

 もちろん、のちに数学の中で名を刻むことになる「デカルト座標」などの名前を残すことになる人間なわけだから、何をご謙遜なさって、いやらしい、という気持ちもなくはない。だが、時代的に哲学という仕事が、まだ「神学」の付随物であったことなどを考慮するにしても、この考えが謙遜であるというわけでもないだろうとは思う。事実、デカルトがシンプルで端的な真理にこだわったのは「本当に記憶力がなかったからだろう」と邪推する人もいるくらいである。

 真理に対する常人にはわからない執着というのは、通俗的な哲学者のイメージであるが、まさにそれはデカルトに当てはまるように思う。しかし、デカルトの執着は、傍目からみて尋常ではないようにも思われる。

 それは、デカルトの「建築」の喩えに如実に現れている。それは思い切って要約するなら、あやふやな基盤にはがっしりとした建物を建てることはできない。従って、土台から検討するべきである、というものだ。

 普通、自分の知性を考えるさいに、このような考え方をしないだろう。というのは、いびつであれ、自分の考え方を実践的に調整していき、改良していくのが当然であって、そのような基盤を見つけるまで検討するというのは、なにやら神経質な印象は否めない。実際に、デカルトはこと政治に関しては「いつも頭の中で何か新たな改革を考えることをやめない、ですぎたおちつかぬ気質の人々を、どうしても是認しえない」と述べているわけだから、ここには温度差がある。

 デカルトは元々旅が好きだったような節がある。というのも、定期的に放浪のような旅に出かけているからだ。恐らく、デカルトのような好人物は好まれたし、また旅を楽しんだことは想像は出来る。私たちが旅に出る理由の一つに、見識を広め、感受性を豊かにするということが挙げられる。

 もちろん、デカルトは旅の効用として、「先例と習慣とによってそうと思い込んだにすぎぬ事がらを、あまりに固く信ずべきではない」ことから解放されたとは述べている。だが一方で、「けれども旅行に時を費やしすぎると、けっきょく自分の国では他国者のようになってしまう」とも述べている。

 確かに、ミルは『自由論』において、意見の多様性を政治的に確保することこそが、正しい意見にたどり着くために最良であると述べた。これは今で言う民主主義の基本となっている考え方である。

 だが一方で、意見が余りにも多様にありすぎる(あるいは多様にあると「見せかけられている」とすると)、私たちはあらゆる意見に対して他国者のような意見に接するか、あるいは、自分の意見に執着するかの何れかという反応が起きているように思われる。

 そこには、意見の弁償法というようなものが、存在しているようにも思う。

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 さらに言うならば、多人数がより集まって作ったものよりも、一人で作ったもののほうが綺麗に作ることが可能である。デカルトは『方法序説』によって述べている(実際は自然科学の分野で共同研究を何度も行っているわけだが)。だが、このような考え方自体が、彼が世間と距離感があったことを感じざるを得ない。

 事実、「世間という書物」という文句には、その一端が見えるし、さらにはフランスに移住したさいには「他人のことに興味をもつよりは自分の仕事に熱心な、きわめて活動的な多数の人々の群れの中で、最も人口の多い町で得られる生活の便宜を何一つ欠くことなく、しかも最も遠い荒野にいると同様な、孤独な隠れた生活を送ることができた」と述べているし、また「世間で演ぜられるどの芝居においても、役者であるよりも見物人であろうとつとめ」たと述べている。

 ここには寒々しいほどの世間との距離がある。まるで、他国者のような、そういった空気を感じざるを得ない。

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 公平に述べるならば、このような書物から伝わる寒々しさとは裏腹にデカルトは様々なものを見聞きし、また意見交換を交わしたりしている。そこには社交的で快活なデカルトがいる。

 一般的で穏健的な意見としては、まず一つには当時の宗教戦争における動乱を避けるものだ、ということがある。実際に、デカルトは著作である『世界論』と呼ばれる本を用意していたのだが、この本はガリレオが宗教裁判にかけられ、有罪になったことにより、出版を断念することになったと言われている。

 それほどまでに、ある科学的な知見であったり意見を言うことというのは危険なことというのは確かである。旅をしていて、人々が如何に疑わしいものを信じているのかについても『方法序説』が述べるように、自覚的であっただろう。そこには不確実なことを言うことに対する明らかにリスクのある状態というのが存在していたのは間違いがない。

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 デカルトの魅力というのは、このような徹底した、一歩間違えれば狂人めいたラディカリストの側面がある一方で、穏健なモラリストとしての側面が不思議と調和していることにあるだろう。何故なら、彼は政治的なことに関しては、改良を積み重ねていく必要があると述べるし、生活する上においても、世の中で多く受け入れられているもののうち、穏健なものを選ぶと述べているからだ。

 正直、上のような意見を初めて読んだとき、若かりし頃の自分はなんて退屈な人間なのだろうと思ったのだが、しかし暫くたって読み返すと、デカルトは現実的において退屈な人間はなかったし(夫人の為に決闘相手の刀を奪い取るほどであった)、また「書物としてのデカルト」についても同様になる。

 『方法序説』の第三部において「理性が私に対して判断において非決定であれと命ずる間にも、私の行動に置いては非決定の状態にとどまるようなことをなくす」と述べている。何故なら「私の意見」は「もはや何の価値もない」からである。そこで、いわば仮の道徳として三つの原則が打ち立てられる。

 このモラリスト的な部分は各人で確認してもらうとして、しかしそこの喩えに注目したい。そこには「建築にかかっている間も不自由なく住めるほかの家を用意しなければならない」としている。そのほかの家とは他ならぬ、最も分別の人々の意見ということになるわけだが、それは一つの居候ということにもなる。

 場合によっては、それはもしかしたら他国者のような気持ちかもしれない。

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 狂人が狂人たる理由の一つに、私について否応もなしに確信してしまうことにあるとするならば、同様にして何も確信できない状態でいることもまた狂人であるということが出来る。ただし、それは我々が想像しているような狂人ではなく、モラリスト的な狂人であることは間違いない。

 ちくま学芸文庫版の『省察』において、ポストモダンの哲学者にとってデカルトの積極的な関心が薄いのと同様に、デカルトの哲学者もまたポストモダンについて積極的な関心を持たない、と解説をしている。もちろん、フーコーが『狂気の歴史』で「狂気の排除」の一例としてデカルトを引用し、それに対してデリダが反論するといったようなことは行われてはいるが、しかしそれは両者の関心にデカルトがたまたま使われたという認識になっている。

 当のデリダの反論というのは『エクリチュールと差異(上)』という講演集に収められており、『省察』の第一省察において語られたものを巡ってである。

 まず一つに、フーコーは「頭が粘土でできている」だとか「全身が水瓶である」といったような主張をする狂人を引き合いに出し、次の説で、瞬時に夢の話になることによって、狂気を追い出しているといっている。だが、デリダにとっては、このときの「夢」というのは、場合によっては狂人よりも狂っている状況を仮定しているということも出来る、と述べる。如何なる狂人であれ「私は狂ってはいない」と取り繕うが、ロゴス=言葉の下で語る上においての決まりごとだからである。だからこそ、突拍子もないことを言うのではなく「わかったわかった、じゃあ夢というのはどうだ?」という戦略だとデリダは述べる。

 そして、さらに重要なことであるが「我思う故に我あり」という論証自体は、狂っていようが、狂っていまいが、問題がない。しかし、その論証自体は「狂気を脱ぎ去る」ことによって初めて行える。つまり、「狂人か夢か」という二者択一のほうではなく、言明自体にこそ、そのような「狂気を排除する」という要素が最初から含まれている。理性への告発が、理性によってしかなされないということと同様に、である。

 このように整理できる論争の中で、一つのことがほのめかされているように思われている。

 時折指摘されることだが『省察』において「欺く神」という言葉が使われる。この役割というのは「2+3=6」だと恰も信じ込ませるような神であるのだが、第四章において、デカルトは「欺く神」というのはあり得ない、と述べるのである。それはまず「詐欺や欺瞞」は不完全なものであるから、まず神がそこには属さない。次に「欺こうと欲する」のは、悪意や弱さによるものだから、神に属さない。従って、神は「詐欺や欺瞞」を働かない。

 第一省察において「欺く神」というのではなく「悪しき霊」と仮定してもいいかもしれない、と言う横滑りが起きている。何故なら上に述べたように「欺く神」というのはありえないのだが、しかしそれは論点先取りである。だから「悪しき霊」を先に出しているのである。そして、実際には「我思う故に我あり」という言明は、どちらを仮定するにしても成立するものだとデリダは述べる。

 この「悪しき霊」は「《私》は存在しない」と強く信じ込ませることが出来るほど強い霊であるのだが、しかし「《私》が存在しない」と思わせれば思わせるほど、では「存在しない」と考えている主体は一体誰なのか?ということになる。当然、《私》なのだから、これは矛盾しているわけだ。

 この議論について、例えばフッサールは意識という側面から批判的検討を行ったのは確かなのだが、しかし不思議なのは、それは認めるとしても、このことによってなぜ「全ての建物の基盤」になるのかが不明なのである。私のような粗雑な人間であるならば、「我はある、だからどうした!」という話である。

 一つだけ言えることがある。狂人とは、理性にとっては言葉を持つことが出来ない、あの駅前で看板の意味がわからず立ち往生する他国人なのである。

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 このヒントは恐らく、木田元氏が書いている『反哲学史』(新潮文庫)に述べられていることのようにも思う。

要するにデカルトの言う「理性」は、神によってわれわれに分かち与えられたものであり、われわれ人間のうちにありながらもわれわれのもつ自然的な能力ではなく、神の理性の派出所とか出張所のようなものなのです。だからこそ、そこには個人差はなく「公平に分け与えられていて」、これを正しく使いさえすれば普遍的な認識ができるのであり、のみならず、世界創造の設計図である神の理性の出張所なのだから、これを正しく使いさえすれば、世界の奥の奥の存在構造を捉えることもできるのです。(p.134)

 問題は悪霊でも騙せない「神の領域」みたいなのがあり、そのような「神の領域」が悪霊によっても排除できないとするならば、また私も否定することが出来ない。私が否定されないということは以上によって明晰にわかる。従って、明晰さを信頼しても良いということなのだろう、と私は思う。

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 実際のところ、この文章はもっと早くから着手される予定だったのだが、不慮の事故により、一万文字が除去されてしまい、慌てて期日に間に合わせるために書いている。従って、論旨が不明瞭になっている部分があることをお詫びしたい。

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 二〇二一年になって、我々はより啓蒙され、見識が広がったことは否定するまでもない事実であろう。しかし、そのような見識が広まったのにも関わらず、どことなく息苦しさを感じる側面も多くなった。二つの意見がぶつかり合い、それは止揚されることはない。まるで、それはお互いに理解しようとすればするほど憎しみ合うという状況が続いているように思う。その光景は、私にとって「世間という芝居」を見ているような気持ちになってしまうのは確かだ。

 もう一つ、私は最近になって「意見過剰」な社会になったようにも感じる。多くのことに対して、何か意見を言わないといけないのではないか、と思うことが増えつつある。もちろん、何かを見聞きすれば、何かの感想を持つということはあるのだが、しかしそこにおいてデカルト的な、意見を価値のないものとして切り捨てる、という態度は何処か潔さと心地よさを持っていることは間違いない。それはどこか、異国の地で同じ他国人が出会ったときに持つ、不思議な共感に近いものを、私には感じる。

 デカルトは確かに「近代哲学の始祖」なのかもしれないけれども、個人的には「近代という病い」を勝手に引き受け、そして勝手に治ってしまった人間にも思えるし、だからこそ、デカルトには何故か妙な羨ましさを持ったりするのである。

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 次の担当はshikakunさんです。