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現代詩の鑑賞、『高岡修詩集』から一篇

 日記。

 増田聡が次のようなことを述べている。

この国は詩人を尊敬しない。照準が定まらないふわふわした言葉を見るや「ポエム」と呼んで揶揄するような国だ。だからこの国の人は言葉を粗雑に扱って恥じない。でもな大事なことを教えておこう。言葉というものは人が忘れたことをずっと覚えている、忘れた頃に言葉はこの国の人へ復讐しに来るのです

 後のリプライにて「というポエム」という風に書いているように、このようなことを書く気恥ずかしさみたいなのが「ポエム」という側面はあるとして、では実際に『高岡修詩集』(現代詩文庫)を借りてきて読んでいる身としては、「詩の鑑賞方法」というのを誰も教えてくれていないということにふと気がつく。

 戦後的なテンプレートとして、アドルノの「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。」という言葉があるのだが、しかしそれでもなおパウル・ツェランは、ドイツ系ユダヤ人という条件を引き受け、そして詩を書いたということができる。これは単なる文学的な話。

 とはいえ、しかしツェランの詩集を眼の前にして感じることは「ではなぜ、このような翻訳された詩を読むのか」という話になってくる。もちろんそれは「海外文学をなぜ読むのか」という話にも繋がってくるのだが、例えば、マラルメ詩集を少し読んで、註釈に「これはこういう踏み方をしていて……」と書かれた時に、何やら不思議な気持ちになるのと同じくして、わたしは果たして「マラルメの詩とやらを読んでいるのか?」という、戸惑いの中で、何やら透明のガラスの壁に阻まれている冷たさのような、そんな感じを受ける(ポエム的に言えば)。

 そのような戸惑いはともかくとして、では実際に詩を引用してみることにする。

すべり台は死んだ子どもたちのだめにだけ存在する

その頂点がどこにあるのか誰も知らない

のぼる階段だけがあり

すべり降りるゆるやかなスロープだけがある

ゆえにそのすべり台では

階段をのぼる死んだ子どもたちは

永遠にのぼりつづけなければならず

スロープをすべり降りる死んだ子どもたちは

永遠にすべりつづけなければならない

 「すべり台」と題されたこの詩を取り上げるのは、これが「感想」を覚えやすいという側面があるためだ。

 まず一つ、気がつくのは「頂点がないすべり台」というイメージなのだが、実際に「すべり台」のイメージなるものを、頭の中で点検してみると、その頂点に値する「踊り場」について、余りにも貧弱であることが、まず気が付かされる。「すべり台」といえば、まず「登る」ものであり、「滑る」というものであって、上で待つものではない。従って、この頂点を失った「すべり台」の詩のイメージは、頂点を削ることによって、それが不自然な存在であるにも関わらず、何も問題ないように感じる。

 さらにもう一つ気がつくのは、高岡修氏の詩集を読んでいて気がつくのは、いわゆる対比関係が非常に多いのに気がつく。すべり台の諸要素を「階段」「踊り場」「スロープ」という三つの要素に分けるとして、「踊り場」が削られた「すべり台」というのは、「階段 - スロープ」となり、二項対立として、この詩がはらむ「登る/滑る」というイメージを鮮明にすることになる。

 詩の後半である四行は「登る→滑る」という記述があるのだが、注意深く読んでみると、ある事実に気がつく。確かに踊り場が無いということは「ただ昇り続ける」という階段のイメージにはぴったりである。すべり台の階段を登るのは、「踊り場」に到達するために登るのだが、しかし「踊り場」を失ったすべり台の階段を登るということは、その目標が永遠に遅延され続けているということになる。

 だが、ちゃんと考えれてみると、この行為は「登る」というその行為だけに当てはまる。なぜなら、よく精読しなくてもわかることだが、「頂点」が無いことだけ書かれており、地面が無いことには一言も言及されていない。従って「滑り続けなければならない」とするその一行は、その詩の修辞法、つまり「登る―滑る」という行為そのものが永続的になるという中で、実は「滑る」という行為が永続的になるという状況が、ごくごく言語的な法則として入ってきて、それがいわゆる因果法則やら何やらと拒絶していることがわかる。

 そこで、「詩」を鑑賞しているわたしは、この詩に向き合う戦略を変えざるを得ない。「登る」という行為を、動的に捉えていたわたしは、いつのまにか「滑る」という行を眼にした時に、それが動的なものではなく、静的なものとして、遡及的に行為が凍りつき、「滑る」という行為が静的であったと同時に「登る」というものが凍りついた風景へと転換される。

 従って、ここまで読んだ時に、なぜこの詩において「死んだ子どもたち」と言わなければならなかったのか、ということがわかる。例えば、広島には原爆で死んだ子どもたちの影が未だに残されているし、知人が死んだときの光景というのは未だに彼が死ぬ前にやっていだことであるように思われるからだ。動的な行為が静的なイメージとして焼き付く瞬間というのが「死」のイメージであるということに気がつく。ここでこの詩が完成する。

 この詩を取り上げたのは、このような鑑賞が出来るというのを言語化しやすい詩だったからなのだが、しかしこのような読み方というのは、実際のところ誰も教えてはくれなかったように感じる。恐らく、文章的な秩序として、このように読むのが妥当だろうというかたちで、手探りに読んでいくわけだが、そのような文章的な秩序というのは、乱読すればいいということではないだろうとは思う(手がかりはあるとはいえ)。

 段々と周囲に習いて読まなくなった時代であると、ここ最近は感じるが故に、2012年頃で止まったブログの更新をこっそりと続けているのだが、いわば「読む」という行為を余りにも自明化しすぎる余り、読むという技術的な体系がそこに存在しているという事実を優しく忘却させることになる。それは、メディア的な優しさだとは思う。というのは、読めない人間が読んではならぬというのは、旧来的な権威制度であるが、しかしそれで引き受けたのは、わたしが決定的に読めていないのではないか、という私の信頼ならなさの忘却でもある。