Archive

私と苦手な人

 往々にして良く言われることの一つとして、ある仕事が続くかどうかという問題は、その仕事の内容自体ではなく、むしろ人間関係にあるとは言われる。仕事内容自体も、本当は選んだ方がいいんだけど、その次に出てくるのが人間関係にあるというのはあるとは思う。

 人間関係については色々言えることがあるあと、かもしれないけど、ここ最近意識させられたのは「自分が苦手な人間を受け入れられる基盤があるかどうか」ということと、「適切なコミュニケーションがとれるかどうか」ということ。こういうことを書くと、大抵自分も「ああ、何処かで嫌われているのだろうけど、渋々付き合っている人がいるんだろうな」と考えさせられて嫌な気持ちになるのだけれども、今回は自分を棚にあげておく。

 恐らく、自分の好きな人間と付き合えることは幸福なことであって、それこそ大きな場所になればなるほど、自分の苦手な人間と接することになる可能性は高くなる。あとは、最初はいい人だな、と思っていたがだんだん苦手になるというのもある。なんだかんだいって、苦手な人間と向かい合わせになることはあって、それこそが社会であるわけだし、自分が苦手な人間のほうが正しい場合だってあるわけだが、しかしやはり自分なりに自衛策を取っておく必要はある。苦手なものは苦手なわけだし、それなりにやり過ごすか、場合によってはそこから離れるしかない。

 さらに言うと、自分の中で「体力」と定義付けているものがあって、やはり苦手な人にも振れ幅というのがあって、その幅に収まるかどうかという問題はある。

 もう一つは、やっぱり「苦手な人というのを苦手にしない技術」というのがあって、そういうコミュニケーションに長けている人だったりすると、その苦手な人と「付き合える部分」で付きえたり、あるいは「苦手な人を、付き合える人の範疇に入れられる」といったような方法を自然と実践している場合があるわけで、そういうものなのかなあ、と思ったりもする。

 とはいえ、こういうことを考えている人間が苦手だと思うタイプの人もいるわけで、その辺は凄く難しいところだね。