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夜の活動

 最近は、何故かユーザーインターフェイスとかそういう辺りのことを考えることが多くて、深夜のジョナサンに夜な夜な出かけていっては、下のように文房具を散らかしたりしている。

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 少し悩んでいることの一つとして、『ユーザーは、何かしらの機能を、ある動機があって使う』ということを、どのように捉えるかということだったりする。

 どういうことかといえば、何かしらの「問題」に対して接するとき、その問題の背景には「それが問題になる文脈」と「それが解決したときに期待される効用」というのがある。問題は、何かしらの条件に対して問題になりうる。そして、その問題の背景に対しては「問題が解決したら、何ができるのか」ということがあるはずだ。

 抽象的すぎるので、具体的に考えてみる。例えば「部屋でモノを探す」という場合を考える。そのときの問題は、「部屋が暗い」ということだとする。部屋が暗いと、「モノが目視できないから何処にあるかわからない」。解決としては「モノがわかるようになる」か、あるいは「そのモノの姿がわかればいい」。

 一番簡単な解決方法は、「部屋を明るくする(照明をつける)」ことだ。だが、上記の「モノが目視できない」→「?」→「モノがわかるようになる」という解決に対しては、実は「部屋を明るくする」ということによってのみ、連鎖されるわけではない。例えば、モノの姿を目視できるならば、部屋のモノに対して蛍光塗料を塗ることによって、暗い部屋でも光を放つようにすればいいはずだ。

 ユーザーと機能の関係もたぶん、同じだ。ユーザーは、その機能を使いたいから、その機能を使うというわけでは、たぶんない。経営学の逸話としてたまに聞くこととして、「ユーザーがドリルを買うのは、穴が欲しいからであって、ドリルが欲しいからではない」というのと一緒だ。実は穴を作る道具が他にあれば、ドリルは不要になるかもしれない。

 何が悩みどころなのかというと、「恐らくその機能は何らかの問題を解決するためのものなのだろうが、いつのまにか、ユーザーに対して機能を使うことを強要する結果となってしまう」ということだ。主従の逆転だ。その機能は、その機能として必要なのだろうか?

 言葉にすると、「まあ、そりゃそうだろう」という話になってしまうのだが、こういう風に捉えることは果たして正しいのかどうか、というところを含めて、悩みどころで、いまは「この機能に対して、ユーザーはこういうことを期待している。この機能を経路してユーザーはこういう結果を受け取る」という風に考えているのだけれども、なんだかそれはそれで冗長だなあ、という気がして、まだ模索する必要があるなという感じだ。