Archive / 2012

はじめてスレッドを荒らした夜

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今のおっさんネットサーファーは、大抵「ネットウォッチ」という言葉を知っていると思う。要は「インターネット上で面白おかしい人を遠巻きに見て楽しむ」という行為である。だが、たまに勘違いした人間が「この面白おかしい人をいじったら面白くなるんじゃないか」と思うようになる。その確率というのは有名になればなるほど高くなる。これは仕方ないことだが、たまに宝くじが当たる確率で、俺のようなつまらない人間に対して、こういう奴が目の前に現れる。だったら、宝くじが当たって欲しいのだが、そもそも宝くじを買ったことがない。

現5ch、あるいは旧2chにおいて、ネットwatch板の看板には「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」と書かれてある。これは色々な解釈があるが、いわゆる不可侵条約みたいなものだと俺は理解している。もちろん、これは一方的な不可侵条約なのであって、相手側がどう出るかはわからない。しかし、触れなければ、ウォッチ側の存在に気が付かれる確率は低下する。また、相手がどう出るかわからない以上、自分たちが安全にウォッチする場所を守るための最低限の自衛である、という風に捉えている。

さて、このブログにおいて、俺がTwitchで匿名的にコメントする際に、俺の名前が使われていることを話した。これは一部界隈の慣習であって、他の界隈の慣習ではない。そして、俺はその一部界隈の慣習に当てはまらない人と付き合っている。そうした場合、こういった慣習を持ってこられるのは邪魔である。もちろん、自分の名前を使いながら、善意のコメントをする人もいるのだが、それは少数であって、大抵は俺を罵倒するか、他人を罵倒するかのどちらかの為だけに使われている。

この歳になって、5chのスレッドを荒らした、と言うのは本当に恥ずかしいのだが、結論としてはそうだから仕方ない。要は、俺のことをいじっているスレッドに本人降臨して、俺が考えうる安全でダメージを与える方法で、投稿をし続けた。

さて、この具体的な内容は別の日に書くとして、俺はこのとき、昔に「いじられ」ていた同級生が、急にドライバーを振り回し周囲の同級生を威嚇し始めたことを、唐突に思い出した。周囲から見れば、あだ名を連呼され、そのあだ名が嫌だったが故の行動だったと思う。俺は異常者でクズだから、当時から、他人に対して最低限の想像力を働かせることが出来なかった。「当人が了解しないいじりは単なるいじめだ」という一般論も十分に理解できる。俺は過去にいけないから、過去の自分に説教はできない。この思い出のポイントは「なぜ人は唐突に刃物を振り回すのか」ということである。そして、俺は、今回俺が5chで荒らすということは、心情的にはこれに近いものだったのだと感じた。

まず、刃物を振り回される側からすると、大抵こういった「いじり」行為というのは、いわゆる当人達にとっては、些細なことであると思う。想像力が大切だというが、本人達の想像力では、「この程度は自分なら気にしないから、当人も敷居を超えないだろう」ということになる。なので、異常者のように見える。だが、このあたりは本当に信用できなくて、借金が一千万円ほどある人間がのほほんと生きていることもあれば、たかだか借金十万円で自殺未遂する人もいる。そういうことを考えると、「この程度なら大丈夫だろう」というのは、あまりアテにならない。そして、問題なのは、大抵は刃物を振り回される側にしかならないのだ。

振り回す側になって、今回如実にあったのは、「何かを奪われてくのを止める」というものだった。これは実際に所有しているということとは関係がないのだと思う。実際に、何も奪われていないし、何も持っていなくとも、奪われているという感覚だけは持つことが出来る。これを広くとらえれば、被害者妄想ということもできる。そして、奪われていたとしても、心の余裕があれば、別にどうってことはない。同じ千円を取られたということでも、給料日後と給料日前だったら、大きく違うということだ。

何を奪われたかのように感じたか。まず自分の好きなゲームを好きな形で楽しむ、ということを奪われ、自分のゲームが上手くなりたいというささやかな望みを奪われ、その中で生まれるであろう繋がりを奪われた、と感じた。彼らからすれば、ささやかなことかもしれない。だって、たかがゲームなんだから。しかし、社会とも孤立し、生活も困窮している現状では、ささやかな楽しみはこれしかなかったのだ。そして、そのような中で、不眠症も再発し、睡眠すら奪われた。

ここまでなら、まだ理解できる範疇だが、自分の感情を点検したところ、もう一つの感情があることに気が付いた。それは、「いざとなったら俺は刺し違うことができるぞ」という謎の自信である。この自信が無ければ、俺はただ死んだと思う。俺はインターネット上で異常者であり、Webサービスの穴をついてはニヤニヤ楽しむ悪趣味な人間であった。相手の拠点がわかれば、そこに乗り込んで暴れることができる、ということを考えていたのだ。

さらに言えば、前々から彼らの動向をウォッチしており、俺の本アカ(配信用アカウントと完全にフォロワーを切り離している)を見つけることが出来ないことにも気が付いた。つまり、俺のクリティカルな情報なんて簡単に検索出来て、それを突きつければ簡単に引っ込めることが出来るということすら出来ない、極端な話、異常者が出てきたときに、その素行を検索して過去に何をしでかしたかを調べることもできない人間の集まりだったということがわかっていたのだ。

恐るに足らず。

俺は、スレッドに書き込むのを続けた。とにかく投稿に全レスを付け始めた。「もうこのスレつまらなくなった、読むのをやめた」「なんでこんなやつと関わったんだ、最初に関わった奴出て来いよ」「本物の異常者じゃん」というレスをニコニコしながら眺めた。

俺に浴びせかける罵倒は、「寒い」「邪魔」「消えろ」「つまらない」という、今まで俺がインターネットで散々言われてきたことであり、今更なものばかりだった。そんな呪詛の百倍近い憎悪を受けてきた人間にとって、言葉が陳腐で弱すぎるのだ。こっちは、インターネットで長年使ってきた名前を使い、相手は匿名の烏合だったのにも関わず、俺をどうしようもできなくなった住民は、内紛をはじめた。スレッドの雰囲気は、まあよくはない。

別に、俺は荒らしたくはなかった。俺はその行為をやめて欲しい、という願いを聞き入れて欲しかっただけだ。綺麗に言えば、それは願いであり、祈りだ。本来はそれほど綺麗なものじゃない。これ以上追い詰めないでくれ。しかし、こういうタイプはそういう顔をすると、ますますつけあがる。だから、その顔だけはしなかった。何度も何度もコミュニケーションを取ろうとしたが、拒絶された。スレッドでも、こちらにはこちらの言い分があって荒らしているという姿勢を崩さなかったが、聞く耳を持たなかった。俺はただ淡々と書き込んだ。

ついにスレッドの勢いは止まった。

そのとき、ふと思ったのは、「こいつらも俺に関わったことによって、自分たちの遊び場が壊されるということは、とても悲しいことなんだろうな」ということだった。俺がゲームの楽しみを奪われたことが辛かったように、スレッドで他人のところで暴れることが楽しみだった人もいただろう、と俺は思った。それが不健全であったとしても、俺が不利益を被らなければ、そこに関わる理由はない。その「他人」がたまたま俺だったのが不幸だな、と思った。

俺はスレッドが完全につぶれる前に、「俺とはもう関わるな、俺は異常者なんだ」と言って場を退散した。この文章を書き終わったあとに、スレッドを確認してみると、ちょっとだけ書き込みがあった。もしかしたら、ここからまた復活するかもしれない。だが、それでいい。完全に潰してしまうと本当に敵対関係になってしまう。最悪、身元まで来て刺されるかもしれない。だから、ただ彼らがもう俺に触れなければ、そのスレで俺の悪口を何言おうが構わない、ということにした。そもそも、書き込まれた悪口は本質的な指摘ではないし。

荒らしたことに弁解はない。もっといい方法があったかもしれないが、これしかなかった。俺は、俺の異常性を武器にして、相手を困らせるしか、方法がなかったのだ。それが、俺を守るための唯一の方法だった。

俺は彼らに目をつけられてからやらなくなったそのゲームを、またはじめた。

最高に、ただ、楽しかった。

いじるのが下手な人がニヤニヤしながら絡んでくると本当厳しい

正直なところ、一番ダメージを食らうのはネットウォッチャーよりも、なんでもズケズケという、リアルの知人だったりする。リアルの知人は自分のことを良く知っているが故に、芯を食うことが出来るわけだ。キリストだってナザレで受け入れられないのである。わからない人はググってください。元ネタがわからなかったので俺はTwitterで教えてもらった。

自分の色々なアカウントがリアルでバレることを恐れる人がいるわけだし、その気持ちはよくわかる。周囲に自分のクズな部分を知っている知り合いがいるというのは、本当に気持ちの悪いことではあるのだが、ただ自分を綺麗に見せようとする見栄っ張りというか、虚栄心があるわけで、それを歯止めするためには「こいつクズなんですよ」と言ってくれる人が必要である。昔、王様が近くに道化を置いていた気持ちもわかる。ただ違うのは俺は王様ではないということだ。

さて、インターネットで怖かったものは何だったか。世代にもよるが、俺らの世代は、大抵は2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)という人が多いと思う。基本的に炎上といったら、2ちゃんねるにスレッドを立てられることであった。そして、スレッドが立てられるということは、良くも悪くも悪目立ちしている、ということになる。

いわゆるちょっと前になるところの、ニュー速であったり、VIP板とちょっと違うのは、ネットWatch板には「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」という標語があることくらいか。正直、この標語が掲げられるきっかけになった理由はわからない。「ウォッチ先というものは資源だから、資源を枯らすような行為をすることは無粋である」という上手い説明を見ていたが、そういうことなのだろう。

良くも悪くも有名な「と学会」が一番最初に出した本の中に、「自分たちはバードウォッチャーである」という説明をしているのが、雰囲気としてしっくりくると思う。だからこそ、バードウォッチャーが鳥の生態系を乱すのは無粋だし、鳥より目立つの無粋だし、鳥がバードウォッチに参加するのも無粋である。ちなみに、無粋という単語は、よく説明できないけど、「なんとなくそういうことをしちゃいけないんだよ、察せよ」という意味が込められている。察してください。

なんで「無粋」という言葉を使い、このあたりの言及が歯切れ悪いのかというと、俺は別に当時の空気を知らないからだ。昔だって結構荒らされていたよ、と言われたら、そういうものかとも思うし、実際、割と介入してくる人も多かったんじゃないかとも思うし。おっさんは、こういうのをダシにして「昔のウォッチャーは面白い人間を見つけても、それほど騒がなかったものだが、今のモノは……」なんて説教するわけだが、実際のところ、今、老人の世代のほうが遥かにキレやすかった、みたいな話あってあるわけだ。

さて、話が逸れた。

こういうことを書くのは、俺がTwitchの某配信者スレッドで言及されるようになったからである。相手が確実に無能であることがわかると、結構冷静に見れるもので、なるほど、異常者のバードウォッチャーには二種類いるんだな、ということが解るようになった。これが鳥の目線という奴である。違うな。

一種類目は先ほど言及した、とにかく鳥を見て楽しみたいというタイプがいるが、同時に、鳥を見ると「これをタレに付けて焼くと美味いんじゃね?」と思う焼き鳥屋タイプもいることに気が付いた。

バードウォッチャー系については、散々言及してきたので、今回は焼き鳥屋タイプについて、最近考えたことを書く。

お笑い芸人には「いじり」という手法があるわけだ。最近、それで喧嘩している人がいたけれど、そこには深く言及しない。「いじり」にも二つ種類があり、「自分をおいしくしてくれるタイプのいじり」と、「自分には全く利益のないタイプのいじり」の二つである。そして、芸人の腕というのは、前者によってどれだけ、その「いじった人」を面白い人だと錯覚させるかにかかっている。つまり、メインの素材は「いじった人」であって、「いじる人」は調味料でしかない。たまに、調味料でも味覇みたいな、全部その人の味にしちゃうタイプもいるが、それはここでは置いておく。創味シャンタンの話はしていない。

で、俺のTwitchでは、滑舌が余りにも酷過ぎて「歯抜け」とか「ブサボ」とか呼ぶ人がいる。他のエントリーで書いた通り、別にそういうのは構わない。書いている通り、舞台に上がるということは、ある程度はそういった悪名を引き受けることだし、こういうあだ名をつけることで、ちょっとは親しみが持てるようになるかな、とも思った。だって、あだ名がないより、あったほうが親しみを持てるでしょ。親しみが持てるならば、少しは興味を持ってくれる人もいるかな、というわけで、一時期名乗ってもみたが、あることを考えて、名乗ることを辞めてしまった。

芸人の間には、「ケガをする」という言葉がある。滑った空気をフォローして、巻き込まれて同じく滑ってしまう、という奴のことである。芸人の場合なら、一時的なものであり、笑って許されるが、そういうのが絡み続けるものだとそうはいかない。つまらない奴のやることに乗っかってもつまらなくなるだけである。そして、つまらない人間の一番の欠点は、そういうのに乗っかると「自分は面白い」と勘違いして増長し始めることだ。

俺はそのあたりシビアで、このキャラクターに乗るデメリットとメリットを天秤にかけた場合、デメリットのほうがまさってしまった。そんな内輪のつまらないノリを押し付けられて、つまらない奴のことを気にしながら、自分がつまらない配信を続けるくらいなら、やらないほうがマシである。

なんとなく彼らの言い分はわかる。そもそも、彼らにとって、その「鳥の生態を見て楽しむ」よりも、「焼き鳥にして食べたほうが楽しい」というタイプの人間なんだろう、ということである。要は、自分が関与しないとダメなタイプ。ほら、最近も大物Youtuberの奴でいたじゃない。

そもそも「いじり-いじられ」の関係が成立するためには、「いじり」に対してずっと走り続けるほど何処か壊れているか、あるいは「いじり」をはねのけられるほどのメリットを享受しているか、「いじり」によって面白くなるというメリットが存在しているか、あるいは「いじり」自体が一つの芸として面白いか、そもそも「いじり」を許容できるほど親しいか、のいずれかでないと成立しないのである。これらを点検して、これらにメリットがなければ、その場から引くのが普通であるわけだ。

要するに、「なんで俺たちのおもちゃなのに壊れるんですか」という話だけど、お前おもちゃだって、電池を入れ替えたり、ネジ巻いたりしなきゃ動かなくなるだろ。お前、おもちゃが壊れたらお母さんに頼んで直して貰ったタイプか、このデベソ!というわけである。

要するに、必要なのは飴と鞭、そしてちょっとの愛なのである。ちゃんと育てなさい。ひよこなんて食べても美味しくはないんだから。

Twitchでゲーム配信をする異常者が、異常者に粘着されるというこの世の地獄よ

f:id:nisemono_san:20190214172339p:plain 「異常者」という奴のは、ちょっとコミュニティーを変えれば違う自分を見せられると勘違いするが、これが甘い考えであって、異常者というのは何処へ行っても悪目立ちするから異常者なのだ。だから、異常者がコミュニティーを渡り歩くことを「焼畑農業」といって揶揄されたりする。

自分の場合はどうか。自分の場合は、ゲーム実況という場で、そういう悪目立ちをすることになる。

ゲーム実況という営みは、もう日本の若者文化に充分根差した存在になっている。最近、コンビニの店内ラジオなんかを聞いていると、ゲーム実況主がMCを担当してびっくりしたものだし、自分がヴァーチャルユーチューバーを調べたときは、今後の活動の計画が、だいたいゲーム実況であった。今の若い人にとって、何かインターネットで活動したい、有名になりたいと考えた場合、ゲーム実況という選択肢が出てくるようになった。

俺がゲーム実況をやりはじめたきっかけは、とある人がやっていたから、という単純なものである。その人がやっていたから、じゃあ俺もやってみようという軽いものであった。その俺がゲームを配信を始めるきっかけになった人は配信中の暴言のせいか、TwitchからBANされた。Twitchは海外サービスのせいもあって、人種差別的な発言には非常に厳しいようだ。

俺はその時までゲーム実況なんて殆ど見たことはなかった。たまに炎上して過去の人となった配信者の動画をアーカイブで見て「面白いな、過去にこんな異常者もいたんだな」と、自分の異常性を棚に上げて面白がるくらいだった。

日本のインターネットコミュニティーにおいて特徴的なことの一つとして、その集まりにおける作法みたいなものが存在している、ということだ。有名どころだと淫夢がそれにあたる。彼らは、自分たちの「内輪のコミュニケーション」でお互いが仲間であることを確認する。場合によっては、それが「一般的なコミュニケーション」のように振る舞い、迷惑をかけることを厭わない。自分が察するに、その迷惑をかけるという行為は身内に向けられたメッセージであって、外に向けたメッセージではないからだ。だから、彼らにとって、「迷惑をかけている人間」というのは、はなから存在していない。身内で「ああ面白かった」と言えればいいのである。

Twitchでも、このような状態が、とあるゲームの配信界隈で生まれてしまった。そのきっかけとなった、ゲームの配信者の名前を仮にGとする。

Gがやっていたゲームは、簡単に言ってしまうと、味方と協力しあって勝利に導くゲームであった。ところが、Gは味方に対する暴言であったり、あるいは炊く(=怒る)といった行為で注目されていた。長時間プレイしていたことも、注目される要因の一つだろう。これ自体はよくある話なのだが、ポイントは一つだけで、Gはこのゲームコミュニティーにおいて、「プチミーム」的な存在になってしまったということである。ヘンな話だが、村に伝わる祟り神くらいには、皆知っているという存在ととらえたらいいだろうか。外にいったら誰も知らない、というところが村だけの風習っぽさをさらに際立たせる。実際は、自殺宣言騒動とか、いろいろあったが、それは置いておくとしよう。

まずそれらの行動に、他人の有名な配信者のところで、適当な宣伝文句を付けて、そのチャンネルを宣伝する。例えば、自分の場合であるならば、「70歳のおじいちゃんがゲームをプレイする配信」という文句で宣伝されたし、また「女子高生がこの配信で脱いでます」という文句で宣伝されたこともある。この宣伝の意図は、調べた限りではよくわからない。単純に祭り上げの可能性がある。ただ、こちらはスルーしていればいいし、場合にはフォロワーにもなるので、特に問題はない。

もう一つの問題は、その人に似た名前のIDを作るということである。このブログの画像にも張り付けたように、自分の名前でも5つほどの名前がついている。これがあまりよくはなくて、どうしてかというと、名前というのは、どうしてもその本人の印象を決定づけてしまう。自分の名前で、変な活動をされた場合、その活動の印象が付いてしまうということが起きる。例えば、「お前、俺のところで悪口言ってただろ」と絡まれるのは、正直お互いに良くはないし、身の覚えのないことを色々とやられるのはたまったものではない。もっと酷いのになると、例えば「えせはらは障碍者」みたいな名前を付けてくる悪質な人間もいる。フォロワーを確認するたびにそういう名前の人間が出てくるとブロックしたいわけだが、ブロックしてもアカウントが削除されないわけだが、通報することになるが、Twitchはそれほどサポートが良くないわけで、放置しないといけなくなる。これが地味にボディーブローとなってダメージが溜まる。

ではなぜ、俺が彼らの標的にされているのか。

あえて「いじめ」というが、日本のこういった「狭くも広くもないコミュニティー」におけるコミュニケーションというのは、教室文化を悪い意味で引きずっている。教室において、「いじめられっ子」と仲良かった子は、同時に「いじめてもよい対象」として認識され、そして「いじめ」の対象になる。したがって、「いじめられない」ためには、その「いじめ」の対象と関わらないという選択肢になる。そうすると、「いじめられっ子」は孤立され、追い込まれる。いじめられっ子は最悪の場合自殺するが、いじめている当人達は玩具が壊れた程度の罪悪感しか持たない。これはわかりやすい話で、最低でも9年間、最高でも12年間ほど「教室」に慣れた「子供たち」にとって、そういうコミュニケーションが基本になるということだ。

ちょっと抽象的な話題で申し訳ない。具体的なきっかけは何かというと、ふとした気のゆるみで、Gの配信者と関わりのある人間と交流してしまったことがきっかけである。つまり、Gの配信者コミュニティーにうっかり触れてしまったために、彼らにとって、自分はいじめてもいい人間だと認識され、その結果として、客観的に見ればしょうもないが、地味にダメージの来る荒らしをずっと受け続けることになる。要するに、「えんがちょ」とか「えせはら菌」といったような、感染する何かなのである。

さて、異常者に対して「その異常な行為をやめろ」と説教するのは異常者のやることである。それくらいのことは解る異常者なので、それはそれでいいかな、と思っている。課題としては、システムの中でどのようにこの異常者達を飼いならすか、というコミュニティーサービスを作っている人なら、一度は頭を痛ませた問題がある。そして、この手の攻撃にTwitchは非常に弱いシステムになっている、ということだ。

Twitchには、この手の荒らしに対して非常に手助けできるシステムがある。実は、Twitchでは、一つのメールアドレスによって複数のアカウントを所持することが出来る。もしかしたら有用な使い道があるのかもしれず、この手の機能が実装されているということは、これが施策として重要だからだろう、というのは理解できる。しかし、上記のような行為を続けられた場合、何も出来ないのである。もし、通報して対処してくれるほど、Twitchのサポートが厚ければいいが、一週間ほどたった今でさえ、何も音沙汰無しである。

さらに言うと、Twitchでは、フォロワーに対してブロックすることが出来ない。極端な話、そのような嫌がらせアカウントをフォロワーにずっと抱えたまま、一日を過ごさなければならない。

この手のことに関して、Twitchの思想は明確だと思われる。Twitchは性善説というか、「そんなにメンタルが弱いなら最初からゲーム配信なんかするな」という精神なのだろう。要は、そういう荒らしもいつかは終わる、あるいは荒らしもファンになってくれる、という発想か、あるいはこういう状況はそもそも例外的な問題であって、例外的であるならば、そもそも考える必要がないということだろう。しかし、フォロワーがせいぜい65人程度の人間が、しばらくの間こういう状況に陥るのは、もう単純に面倒くさいのである。女性配信者ならば、さらに嫌な気持ちになるのでは、としか思えない。

ゲーム配信で、褒められようとか称賛されようなんて気持ちでやる人間はナルシストで自分のことを客観視できていないわけで、基本舞台に上がるということは、ピエロになる覚悟を持っていなきゃいけない。ピエロになれないなら最初から舞台に上がるんじゃない。それはよくわかる。よくわかるのだが、割り切れないモヤモヤが正直あるのは否めない。

Twitchは現状として、健全なゲーム配信サービスとして、日本展開したいのかもしれないが、このような経験をしてしまうと、正直日本のゲーム配信コミュニティー向きではない、と俺は思ってしまう。少なくとも油断したらそうなるようなサービスなんてとてもじゃないが使えないし、サポートもあんまり意味なさそうだ。チャット上の発言を制限する機能は結構あるのだが。逆にニコニコ動画なんてもっとひどい、なんていう話もあるかもしれないが、最初から悪意全開のほうが、こちらも身構えることができるわけで、そういう意味でも、現状としてTwitchはあまりよろしくないと思う。

書き下してみたけど、大したことが書いているわけではなかったな。やられてもしょぼいし。なんか職場の黒ボールペンがトッポに毎回入れ替えられているような、そういう地味な嫌さだ。

とりあえず、一部のゲーム配信界隈では、こういう異常者が異常者に粘着するというのが流行っていて、異常者に粘着されて黒ボールペンくらいの気分を害するくらいならば、いつものように、ネタにして何かの足しにしようという感じである。

あ、ブサボ異常者のゲームプレイが見たい人はこのリンクから飛んでください。この文章を書いたことで、Twitchのフォロワーが増えれば、書いた甲斐があったというものです。それではチャオ!

底辺バーチャルYoutuber・芥川ドラゴソはなぜゆえに底辺なのか

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ブンブン! ハローユーチューブ。とにかく、右も左もバーチャルYoutuber時代であり、様々なバーチャルYoutuberがいる。これからも、続々とバーチャルYoutuberになる人が出てくる。

で、流石に流行モノだけあって、バーチャルYoutuberになれば注目されるかというと、そうではない。既にバーチャルYoutuberが、バーチャルYoutuberというだけで注目される時期はとっくの昔に過ぎている。その中で、飽きらかに地に沈んでいるバーチャルYoutuberも沢山存在している。

その中の一人に、「芥川ドラゴソ」がいる。

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芥川ドラゴソのYoutubeチャンネル。

芥川ドラゴソのTwitter。

その中、といったところで、俺が作ったバーチャルYoutuberなのだが、登録数で言うと150人程度という形で、結構低迷している。もちろん、多くのバーチャルYoutuberが、100人以下であるということを考えると、ある程度は善戦しているかもしれないが、キラリと光るバーチャルYoutuberは、大抵は200人を超えている状態であることを考えると、「芥川ドラゴソ」はあまり上手くいっていない実例にあたると思う。

あたりまえだが、この手の動画編集というのは、「薄ら寒いトーク」を聞くという地獄の過程を経るものであり、それに耐えて出てきたものだから、それなりの質は担保されているという自信過剰っぷりに支えられるものだ。とはいえ、客観的には低迷しているわけで、何故「芥川ドラゴソ」は底辺なのか、ということを語ることによって、今後のバーチャルYoutuberたちのダシにしてもらいたいと思う。

底辺の理由その1: 見栄えが良くない

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まず最初に言えることは、芥川ドラゴソは見栄えが良くないということである。少なくとも、Blenderの初歩を学ぶために、球体をペタペタとくっつけて作ったそのモデルは、正直なことを言えば、あまりにも見栄えが良くない。

基本的に動画である以上、ある程度の視覚情報的に心地の良いモデルが提供される必要があるが、芥川ドラゴソに関しては、それをクリアしているとは言い難いし、その上、非常に貧弱な画質によって提供されている。とすると、動画として「そもそもどうなの?」という問題があるように感じる。

動画のツカミとして、モデルのクォリティーがある程度担保されていたほうがよい。それは間違いないのだが、それに当てはまらないバーチャルYoutuber達も存在している。また、低モデルというのは、一つの笑いとして昇華される可能性だって秘めている。が、単純にモデルのクォリティーが低いのは、単純に手を抜いているだけである。

見栄えが良くない。これが底辺である理由の一つである。

底辺の理由その2: 寒い

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それなりに話の筋を考えて投稿しているのだが、ぶっちゃげていうと寒い。笑いには意図的なものと、そうでないものが存在しているわけだが、意図的なもので滑るとどうしようもない。他のバーチャルYoutuberはともかく、芥川ドラゴソはそんなに面白くない。

コメントとしては、「和む」という暖かいコメントもあるのだが、他の転載された動画を見ると、「ギャグセンスが無いのに、ギャグを押しているオッサン」というコメントもあり、なかなか辛辣な意見もある。実際、第4回のコメントを見ると「意味がわからない」というコメントが複数あり、話としてうわ滑りしていることがわかる。

どんなものであれ、無理に笑いを取ろうとするのは良くない。にも関わらず、笑いを取ろうとして滑ってしまう。これが底辺である理由の一つである。

底辺の理由その3: 中の人が滲み出てこない

バーチャルYoutuberというのが、ある程度キャラクターを何らかの技術によって同期させるという性質を取る以上、なんらかの形で演者が関わっている。いくつかの例外をのぞき、人気のあるバーチャルYoutuberというのは、何らかの意味で、「中の人」がある程度滲み出てきている。要するに、中の人の「その人らしさ」みたいな部分が出てきている。それが、親近感を生む要員になる。

芥川ドラゴソの場合、そのキャラクターの性質上、禁欲している側面もあって、中の人の「中の人らしさ」というのを過度に抑制している側面がある。そのため、中の人がふとしたときに見せる側面である「魅力」みたいなのが出てこずに、キャラクターとしての魅力にも繋らないという残念な結果になっているのだと思う。

バーチャルYoutuberは、バーチャルという架空の存在を通じて、よりキャラクターとしての「中の人の魅力」にアクセスしようとしている側面は必ずしも存在しているように感じる。それが存在していないとするならば、キャラクターに魅力を感じないのも仕方ないのだろうと思う。

キャラクターに魅力がない。これが底辺である理由の一つである。

底辺の理由その4: 特色がない

バーチャルYoutuberもキャラクターである以上、なんらかの特色であったり、特技が必要である。多くの人気が出ているバーチャルYoutuberの場合、技術であったり、あるいはイケてるボイスであったり、あるいはお絵かきであったり、といったような、自分が持てる知識だったり、技みたいなものを全面に出すようにしている。このような特色があってはじめて、「ああ、あの人の動画にいけば、こういうことをしてくれるんだろうな」みたいな想像が付くようになるのである。

しかし、芥川ドラゴソの場合、そういったものが存在しない。世界背景を作っているUnityだって、初歩的なところから勉強している最中であるし、Blenderもそれほどではない。では他のことで何か得意なことがあるかと言われると、そういうものもない。つまり、はっきりいって深く関心させるほどの何かがあるわけではない。

動画を見にくる人は、ある程度、面白さ、驚き、関心を求めるのであって、それが存在しないとするならば、動画を見る必要もないのである。

動画に対して特色がない。これが底辺である理由の一つである。

底辺の理由その5: バーチャル・コミュ障である

バーチャルYoutuberの傾向として、そのキャラクターを被って、Twitterで活動していたりすることが多く、他のバーチャルYoutuberとやりとりする傾向にある。このような絡みがあるからこそ、絡んでいるこのバーチャルYoutuberは一体なんなのか、と興味を持ったりする。

これに関しては、そもそも芥川ドラゴソの人が、あまり絡みに行くのも、凄く媚びているようで嫌だ、という自意識をこじらせた結果、からみに行くことが殆どないわけなんだけれども、この結果として、反応もできなければ、反応もされないという、悪い循環に陥いっている。

また、最近の流行りのネタに対してのっかっていくということもない。なんだか流行りのネタに走るのも恥かしい、という自意識があるためだ。つまり、そもそも根がネジ曲っているため、そういったこともできない。

バーチャルの世界でもコミュ障である。これが底辺である理由の一つである。

底辺の理由その6: そもそも労力をかけていない

労力をかければいいというものでもないが、有名になるバーチャルYoutuberというのは、元々の下地が違ったりする。

特に以前からその分野にかけて凄く頑張ってきた人間であったりする。そのため、自分みたいに、ポッと出て、UnityとAviUtlを少し勉強してみてできました、という動画が勝てるわけが無いのである。つまり、元々の蓄えてきた素地が違うのだ。それに、バーチャルYoutuber達も、苦難の時期があったことを考えるならば、ちょっと作っただけで、流行りに乗ろうとする甘い考えがそもそもおかしい、ということもできる。

そもそも労力をかけていない。これが底辺である理由の一つである。

まとめ

というわけで、芥川ドラゴソが底辺バーチャルYoutuberである理由を幾つか列挙してみた。元々、これは自分がUnityを勉強しようと思って、いい機会だから、何か続くモチベーションを作ろうとした結果である。なので、動画投稿はこれからも続けるとは思うけれども、芥川ドラゴソが日の目を出ることは多分ない。半年、もしかしたら一年くらい、ずっと動画投稿をし続ければ、可能性があるかもしれないが、多分そのと/きはそのときだと思う。

元々の性根が腐っている。これが底辺である理由の一つである。

芥川ドラゴソのYoutubeチャンネル。

芥川ドラゴソのTwitter。