Archive / 2012

いじるのが下手な人がニヤニヤしながら絡んでくると本当厳しい

正直なところ、一番ダメージを食らうのはネットウォッチャーよりも、なんでもズケズケという、リアルの知人だったりする。リアルの知人は自分のことを良く知っているが故に、芯を食うことが出来るわけだ。キリストだってナザレで受け入れられないのである。わからない人はググってください。元ネタがわからなかったので俺はTwitterで教えてもらった。

自分の色々なアカウントがリアルでバレることを恐れる人がいるわけだし、その気持ちはよくわかる。周囲に自分のクズな部分を知っている知り合いがいるというのは、本当に気持ちの悪いことではあるのだが、ただ自分を綺麗に見せようとする見栄っ張りというか、虚栄心があるわけで、それを歯止めするためには「こいつクズなんですよ」と言ってくれる人が必要である。昔、王様が近くに道化を置いていた気持ちもわかる。ただ違うのは俺は王様ではないということだ。

さて、インターネットで怖かったものは何だったか。世代にもよるが、俺らの世代は、大抵は2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)という人が多いと思う。基本的に炎上といったら、2ちゃんねるにスレッドを立てられることであった。そして、スレッドが立てられるということは、良くも悪くも悪目立ちしている、ということになる。

いわゆるちょっと前になるところの、ニュー速であったり、VIP板とちょっと違うのは、ネットWatch板には「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」という標語があることくらいか。正直、この標語が掲げられるきっかけになった理由はわからない。「ウォッチ先というものは資源だから、資源を枯らすような行為をすることは無粋である」という上手い説明を見ていたが、そういうことなのだろう。

良くも悪くも有名な「と学会」が一番最初に出した本の中に、「自分たちはバードウォッチャーである」という説明をしているのが、雰囲気としてしっくりくると思う。だからこそ、バードウォッチャーが鳥の生態系を乱すのは無粋だし、鳥より目立つの無粋だし、鳥がバードウォッチに参加するのも無粋である。ちなみに、無粋という単語は、よく説明できないけど、「なんとなくそういうことをしちゃいけないんだよ、察せよ」という意味が込められている。察してください。

なんで「無粋」という言葉を使い、このあたりの言及が歯切れ悪いのかというと、俺は別に当時の空気を知らないからだ。昔だって結構荒らされていたよ、と言われたら、そういうものかとも思うし、実際、割と介入してくる人も多かったんじゃないかとも思うし。おっさんは、こういうのをダシにして「昔のウォッチャーは面白い人間を見つけても、それほど騒がなかったものだが、今のモノは……」なんて説教するわけだが、実際のところ、今、老人の世代のほうが遥かにキレやすかった、みたいな話あってあるわけだ。

さて、話が逸れた。

こういうことを書くのは、俺がTwitchの某配信者スレッドで言及されるようになったからである。相手が確実に無能であることがわかると、結構冷静に見れるもので、なるほど、異常者のバードウォッチャーには二種類いるんだな、ということが解るようになった。これが鳥の目線という奴である。違うな。

一種類目は先ほど言及した、とにかく鳥を見て楽しみたいというタイプがいるが、同時に、鳥を見ると「これをタレに付けて焼くと美味いんじゃね?」と思う焼き鳥屋タイプもいることに気が付いた。

バードウォッチャー系については、散々言及してきたので、今回は焼き鳥屋タイプについて、最近考えたことを書く。

お笑い芸人には「いじり」という手法があるわけだ。最近、それで喧嘩している人がいたけれど、そこには深く言及しない。「いじり」にも二つ種類があり、「自分をおいしくしてくれるタイプのいじり」と、「自分には全く利益のないタイプのいじり」の二つである。そして、芸人の腕というのは、前者によってどれだけ、その「いじった人」を面白い人だと錯覚させるかにかかっている。つまり、メインの素材は「いじった人」であって、「いじる人」は調味料でしかない。たまに、調味料でも味覇みたいな、全部その人の味にしちゃうタイプもいるが、それはここでは置いておく。創味シャンタンの話はしていない。

で、俺のTwitchでは、滑舌が余りにも酷過ぎて「歯抜け」とか「ブサボ」とか呼ぶ人がいる。他のエントリーで書いた通り、別にそういうのは構わない。書いている通り、舞台に上がるということは、ある程度はそういった悪名を引き受けることだし、こういうあだ名をつけることで、ちょっとは親しみが持てるようになるかな、とも思った。だって、あだ名がないより、あったほうが親しみを持てるでしょ。親しみが持てるならば、少しは興味を持ってくれる人もいるかな、というわけで、一時期名乗ってもみたが、あることを考えて、名乗ることを辞めてしまった。

芸人の間には、「ケガをする」という言葉がある。滑った空気をフォローして、巻き込まれて同じく滑ってしまう、という奴のことである。芸人の場合なら、一時的なものであり、笑って許されるが、そういうのが絡み続けるものだとそうはいかない。つまらない奴のやることに乗っかってもつまらなくなるだけである。そして、つまらない人間の一番の欠点は、そういうのに乗っかると「自分は面白い」と勘違いして増長し始めることだ。

俺はそのあたりシビアで、このキャラクターに乗るデメリットとメリットを天秤にかけた場合、デメリットのほうがまさってしまった。そんな内輪のつまらないノリを押し付けられて、つまらない奴のことを気にしながら、自分がつまらない配信を続けるくらいなら、やらないほうがマシである。

なんとなく彼らの言い分はわかる。そもそも、彼らにとって、その「鳥の生態を見て楽しむ」よりも、「焼き鳥にして食べたほうが楽しい」というタイプの人間なんだろう、ということである。要は、自分が関与しないとダメなタイプ。ほら、最近も大物Youtuberの奴でいたじゃない。

そもそも「いじり-いじられ」の関係が成立するためには、「いじり」に対してずっと走り続けるほど何処か壊れているか、あるいは「いじり」をはねのけられるほどのメリットを享受しているか、「いじり」によって面白くなるというメリットが存在しているか、あるいは「いじり」自体が一つの芸として面白いか、そもそも「いじり」を許容できるほど親しいか、のいずれかでないと成立しないのである。これらを点検して、これらにメリットがなければ、その場から引くのが普通であるわけだ。

要するに、「なんで俺たちのおもちゃなのに壊れるんですか」という話だけど、お前おもちゃだって、電池を入れ替えたり、ネジ巻いたりしなきゃ動かなくなるだろ。お前、おもちゃが壊れたらお母さんに頼んで直して貰ったタイプか、このデベソ!というわけである。

要するに、必要なのは飴と鞭、そしてちょっとの愛なのである。ちゃんと育てなさい。ひよこなんて食べても美味しくはないんだから。

Twitchでゲーム配信をする異常者が、異常者に粘着されるというこの世の地獄よ

f:id:nisemono_san:20190214172339p:plain 「異常者」という奴のは、ちょっとコミュニティーを変えれば違う自分を見せられると勘違いするが、これが甘い考えであって、異常者というのは何処へ行っても悪目立ちするから異常者なのだ。だから、異常者がコミュニティーを渡り歩くことを「焼畑農業」といって揶揄されたりする。

自分の場合はどうか。自分の場合は、ゲーム実況という場で、そういう悪目立ちをすることになる。

ゲーム実況という営みは、もう日本の若者文化に充分根差した存在になっている。最近、コンビニの店内ラジオなんかを聞いていると、ゲーム実況主がMCを担当してびっくりしたものだし、自分がヴァーチャルユーチューバーを調べたときは、今後の活動の計画が、だいたいゲーム実況であった。今の若い人にとって、何かインターネットで活動したい、有名になりたいと考えた場合、ゲーム実況という選択肢が出てくるようになった。

俺がゲーム実況をやりはじめたきっかけは、とある人がやっていたから、という単純なものである。その人がやっていたから、じゃあ俺もやってみようという軽いものであった。その俺がゲームを配信を始めるきっかけになった人は配信中の暴言のせいか、TwitchからBANされた。Twitchは海外サービスのせいもあって、人種差別的な発言には非常に厳しいようだ。

俺はその時までゲーム実況なんて殆ど見たことはなかった。たまに炎上して過去の人となった配信者の動画をアーカイブで見て「面白いな、過去にこんな異常者もいたんだな」と、自分の異常性を棚に上げて面白がるくらいだった。

日本のインターネットコミュニティーにおいて特徴的なことの一つとして、その集まりにおける作法みたいなものが存在している、ということだ。有名どころだと淫夢がそれにあたる。彼らは、自分たちの「内輪のコミュニケーション」でお互いが仲間であることを確認する。場合によっては、それが「一般的なコミュニケーション」のように振る舞い、迷惑をかけることを厭わない。自分が察するに、その迷惑をかけるという行為は身内に向けられたメッセージであって、外に向けたメッセージではないからだ。だから、彼らにとって、「迷惑をかけている人間」というのは、はなから存在していない。身内で「ああ面白かった」と言えればいいのである。

Twitchでも、このような状態が、とあるゲームの配信界隈で生まれてしまった。そのきっかけとなった、ゲームの配信者の名前を仮にGとする。

Gがやっていたゲームは、簡単に言ってしまうと、味方と協力しあって勝利に導くゲームであった。ところが、Gは味方に対する暴言であったり、あるいは炊く(=怒る)といった行為で注目されていた。長時間プレイしていたことも、注目される要因の一つだろう。これ自体はよくある話なのだが、ポイントは一つだけで、Gはこのゲームコミュニティーにおいて、「プチミーム」的な存在になってしまったということである。ヘンな話だが、村に伝わる祟り神くらいには、皆知っているという存在ととらえたらいいだろうか。外にいったら誰も知らない、というところが村だけの風習っぽさをさらに際立たせる。実際は、自殺宣言騒動とか、いろいろあったが、それは置いておくとしよう。

まずそれらの行動に、他人の有名な配信者のところで、適当な宣伝文句を付けて、そのチャンネルを宣伝する。例えば、自分の場合であるならば、「70歳のおじいちゃんがゲームをプレイする配信」という文句で宣伝されたし、また「女子高生がこの配信で脱いでます」という文句で宣伝されたこともある。この宣伝の意図は、調べた限りではよくわからない。単純に祭り上げの可能性がある。ただ、こちらはスルーしていればいいし、場合にはフォロワーにもなるので、特に問題はない。

もう一つの問題は、その人に似た名前のIDを作るということである。このブログの画像にも張り付けたように、自分の名前でも5つほどの名前がついている。これがあまりよくはなくて、どうしてかというと、名前というのは、どうしてもその本人の印象を決定づけてしまう。自分の名前で、変な活動をされた場合、その活動の印象が付いてしまうということが起きる。例えば、「お前、俺のところで悪口言ってただろ」と絡まれるのは、正直お互いに良くはないし、身の覚えのないことを色々とやられるのはたまったものではない。もっと酷いのになると、例えば「えせはらは障碍者」みたいな名前を付けてくる悪質な人間もいる。フォロワーを確認するたびにそういう名前の人間が出てくるとブロックしたいわけだが、ブロックしてもアカウントが削除されないわけだが、通報することになるが、Twitchはそれほどサポートが良くないわけで、放置しないといけなくなる。これが地味にボディーブローとなってダメージが溜まる。

ではなぜ、俺が彼らの標的にされているのか。

あえて「いじめ」というが、日本のこういった「狭くも広くもないコミュニティー」におけるコミュニケーションというのは、教室文化を悪い意味で引きずっている。教室において、「いじめられっ子」と仲良かった子は、同時に「いじめてもよい対象」として認識され、そして「いじめ」の対象になる。したがって、「いじめられない」ためには、その「いじめ」の対象と関わらないという選択肢になる。そうすると、「いじめられっ子」は孤立され、追い込まれる。いじめられっ子は最悪の場合自殺するが、いじめている当人達は玩具が壊れた程度の罪悪感しか持たない。これはわかりやすい話で、最低でも9年間、最高でも12年間ほど「教室」に慣れた「子供たち」にとって、そういうコミュニケーションが基本になるということだ。

ちょっと抽象的な話題で申し訳ない。具体的なきっかけは何かというと、ふとした気のゆるみで、Gの配信者と関わりのある人間と交流してしまったことがきっかけである。つまり、Gの配信者コミュニティーにうっかり触れてしまったために、彼らにとって、自分はいじめてもいい人間だと認識され、その結果として、客観的に見ればしょうもないが、地味にダメージの来る荒らしをずっと受け続けることになる。要するに、「えんがちょ」とか「えせはら菌」といったような、感染する何かなのである。

さて、異常者に対して「その異常な行為をやめろ」と説教するのは異常者のやることである。それくらいのことは解る異常者なので、それはそれでいいかな、と思っている。課題としては、システムの中でどのようにこの異常者達を飼いならすか、というコミュニティーサービスを作っている人なら、一度は頭を痛ませた問題がある。そして、この手の攻撃にTwitchは非常に弱いシステムになっている、ということだ。

Twitchには、この手の荒らしに対して非常に手助けできるシステムがある。実は、Twitchでは、一つのメールアドレスによって複数のアカウントを所持することが出来る。もしかしたら有用な使い道があるのかもしれず、この手の機能が実装されているということは、これが施策として重要だからだろう、というのは理解できる。しかし、上記のような行為を続けられた場合、何も出来ないのである。もし、通報して対処してくれるほど、Twitchのサポートが厚ければいいが、一週間ほどたった今でさえ、何も音沙汰無しである。

さらに言うと、Twitchでは、フォロワーに対してブロックすることが出来ない。極端な話、そのような嫌がらせアカウントをフォロワーにずっと抱えたまま、一日を過ごさなければならない。

この手のことに関して、Twitchの思想は明確だと思われる。Twitchは性善説というか、「そんなにメンタルが弱いなら最初からゲーム配信なんかするな」という精神なのだろう。要は、そういう荒らしもいつかは終わる、あるいは荒らしもファンになってくれる、という発想か、あるいはこういう状況はそもそも例外的な問題であって、例外的であるならば、そもそも考える必要がないということだろう。しかし、フォロワーがせいぜい65人程度の人間が、しばらくの間こういう状況に陥るのは、もう単純に面倒くさいのである。女性配信者ならば、さらに嫌な気持ちになるのでは、としか思えない。

ゲーム配信で、褒められようとか称賛されようなんて気持ちでやる人間はナルシストで自分のことを客観視できていないわけで、基本舞台に上がるということは、ピエロになる覚悟を持っていなきゃいけない。ピエロになれないなら最初から舞台に上がるんじゃない。それはよくわかる。よくわかるのだが、割り切れないモヤモヤが正直あるのは否めない。

Twitchは現状として、健全なゲーム配信サービスとして、日本展開したいのかもしれないが、このような経験をしてしまうと、正直日本のゲーム配信コミュニティー向きではない、と俺は思ってしまう。少なくとも油断したらそうなるようなサービスなんてとてもじゃないが使えないし、サポートもあんまり意味なさそうだ。チャット上の発言を制限する機能は結構あるのだが。逆にニコニコ動画なんてもっとひどい、なんていう話もあるかもしれないが、最初から悪意全開のほうが、こちらも身構えることができるわけで、そういう意味でも、現状としてTwitchはあまりよろしくないと思う。

書き下してみたけど、大したことが書いているわけではなかったな。やられてもしょぼいし。なんか職場の黒ボールペンがトッポに毎回入れ替えられているような、そういう地味な嫌さだ。

とりあえず、一部のゲーム配信界隈では、こういう異常者が異常者に粘着するというのが流行っていて、異常者に粘着されて黒ボールペンくらいの気分を害するくらいならば、いつものように、ネタにして何かの足しにしようという感じである。

あ、ブサボ異常者のゲームプレイが見たい人はこのリンクから飛んでください。この文章を書いたことで、Twitchのフォロワーが増えれば、書いた甲斐があったというものです。それではチャオ!

底辺バーチャルYoutuber・芥川ドラゴソはなぜゆえに底辺なのか

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ブンブン! ハローユーチューブ。とにかく、右も左もバーチャルYoutuber時代であり、様々なバーチャルYoutuberがいる。これからも、続々とバーチャルYoutuberになる人が出てくる。

で、流石に流行モノだけあって、バーチャルYoutuberになれば注目されるかというと、そうではない。既にバーチャルYoutuberが、バーチャルYoutuberというだけで注目される時期はとっくの昔に過ぎている。その中で、飽きらかに地に沈んでいるバーチャルYoutuberも沢山存在している。

その中の一人に、「芥川ドラゴソ」がいる。

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芥川ドラゴソのYoutubeチャンネル。

芥川ドラゴソのTwitter。

その中、といったところで、俺が作ったバーチャルYoutuberなのだが、登録数で言うと150人程度という形で、結構低迷している。もちろん、多くのバーチャルYoutuberが、100人以下であるということを考えると、ある程度は善戦しているかもしれないが、キラリと光るバーチャルYoutuberは、大抵は200人を超えている状態であることを考えると、「芥川ドラゴソ」はあまり上手くいっていない実例にあたると思う。

あたりまえだが、この手の動画編集というのは、「薄ら寒いトーク」を聞くという地獄の過程を経るものであり、それに耐えて出てきたものだから、それなりの質は担保されているという自信過剰っぷりに支えられるものだ。とはいえ、客観的には低迷しているわけで、何故「芥川ドラゴソ」は底辺なのか、ということを語ることによって、今後のバーチャルYoutuberたちのダシにしてもらいたいと思う。

底辺の理由その1: 見栄えが良くない

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まず最初に言えることは、芥川ドラゴソは見栄えが良くないということである。少なくとも、Blenderの初歩を学ぶために、球体をペタペタとくっつけて作ったそのモデルは、正直なことを言えば、あまりにも見栄えが良くない。

基本的に動画である以上、ある程度の視覚情報的に心地の良いモデルが提供される必要があるが、芥川ドラゴソに関しては、それをクリアしているとは言い難いし、その上、非常に貧弱な画質によって提供されている。とすると、動画として「そもそもどうなの?」という問題があるように感じる。

動画のツカミとして、モデルのクォリティーがある程度担保されていたほうがよい。それは間違いないのだが、それに当てはまらないバーチャルYoutuber達も存在している。また、低モデルというのは、一つの笑いとして昇華される可能性だって秘めている。が、単純にモデルのクォリティーが低いのは、単純に手を抜いているだけである。

見栄えが良くない。これが底辺である理由の一つである。

底辺の理由その2: 寒い

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それなりに話の筋を考えて投稿しているのだが、ぶっちゃげていうと寒い。笑いには意図的なものと、そうでないものが存在しているわけだが、意図的なもので滑るとどうしようもない。他のバーチャルYoutuberはともかく、芥川ドラゴソはそんなに面白くない。

コメントとしては、「和む」という暖かいコメントもあるのだが、他の転載された動画を見ると、「ギャグセンスが無いのに、ギャグを押しているオッサン」というコメントもあり、なかなか辛辣な意見もある。実際、第4回のコメントを見ると「意味がわからない」というコメントが複数あり、話としてうわ滑りしていることがわかる。

どんなものであれ、無理に笑いを取ろうとするのは良くない。にも関わらず、笑いを取ろうとして滑ってしまう。これが底辺である理由の一つである。

底辺の理由その3: 中の人が滲み出てこない

バーチャルYoutuberというのが、ある程度キャラクターを何らかの技術によって同期させるという性質を取る以上、なんらかの形で演者が関わっている。いくつかの例外をのぞき、人気のあるバーチャルYoutuberというのは、何らかの意味で、「中の人」がある程度滲み出てきている。要するに、中の人の「その人らしさ」みたいな部分が出てきている。それが、親近感を生む要員になる。

芥川ドラゴソの場合、そのキャラクターの性質上、禁欲している側面もあって、中の人の「中の人らしさ」というのを過度に抑制している側面がある。そのため、中の人がふとしたときに見せる側面である「魅力」みたいなのが出てこずに、キャラクターとしての魅力にも繋らないという残念な結果になっているのだと思う。

バーチャルYoutuberは、バーチャルという架空の存在を通じて、よりキャラクターとしての「中の人の魅力」にアクセスしようとしている側面は必ずしも存在しているように感じる。それが存在していないとするならば、キャラクターに魅力を感じないのも仕方ないのだろうと思う。

キャラクターに魅力がない。これが底辺である理由の一つである。

底辺の理由その4: 特色がない

バーチャルYoutuberもキャラクターである以上、なんらかの特色であったり、特技が必要である。多くの人気が出ているバーチャルYoutuberの場合、技術であったり、あるいはイケてるボイスであったり、あるいはお絵かきであったり、といったような、自分が持てる知識だったり、技みたいなものを全面に出すようにしている。このような特色があってはじめて、「ああ、あの人の動画にいけば、こういうことをしてくれるんだろうな」みたいな想像が付くようになるのである。

しかし、芥川ドラゴソの場合、そういったものが存在しない。世界背景を作っているUnityだって、初歩的なところから勉強している最中であるし、Blenderもそれほどではない。では他のことで何か得意なことがあるかと言われると、そういうものもない。つまり、はっきりいって深く関心させるほどの何かがあるわけではない。

動画を見にくる人は、ある程度、面白さ、驚き、関心を求めるのであって、それが存在しないとするならば、動画を見る必要もないのである。

動画に対して特色がない。これが底辺である理由の一つである。

底辺の理由その5: バーチャル・コミュ障である

バーチャルYoutuberの傾向として、そのキャラクターを被って、Twitterで活動していたりすることが多く、他のバーチャルYoutuberとやりとりする傾向にある。このような絡みがあるからこそ、絡んでいるこのバーチャルYoutuberは一体なんなのか、と興味を持ったりする。

これに関しては、そもそも芥川ドラゴソの人が、あまり絡みに行くのも、凄く媚びているようで嫌だ、という自意識をこじらせた結果、からみに行くことが殆どないわけなんだけれども、この結果として、反応もできなければ、反応もされないという、悪い循環に陥いっている。

また、最近の流行りのネタに対してのっかっていくということもない。なんだか流行りのネタに走るのも恥かしい、という自意識があるためだ。つまり、そもそも根がネジ曲っているため、そういったこともできない。

バーチャルの世界でもコミュ障である。これが底辺である理由の一つである。

底辺の理由その6: そもそも労力をかけていない

労力をかければいいというものでもないが、有名になるバーチャルYoutuberというのは、元々の下地が違ったりする。

特に以前からその分野にかけて凄く頑張ってきた人間であったりする。そのため、自分みたいに、ポッと出て、UnityとAviUtlを少し勉強してみてできました、という動画が勝てるわけが無いのである。つまり、元々の蓄えてきた素地が違うのだ。それに、バーチャルYoutuber達も、苦難の時期があったことを考えるならば、ちょっと作っただけで、流行りに乗ろうとする甘い考えがそもそもおかしい、ということもできる。

そもそも労力をかけていない。これが底辺である理由の一つである。

まとめ

というわけで、芥川ドラゴソが底辺バーチャルYoutuberである理由を幾つか列挙してみた。元々、これは自分がUnityを勉強しようと思って、いい機会だから、何か続くモチベーションを作ろうとした結果である。なので、動画投稿はこれからも続けるとは思うけれども、芥川ドラゴソが日の目を出ることは多分ない。半年、もしかしたら一年くらい、ずっと動画投稿をし続ければ、可能性があるかもしれないが、多分そのと/きはそのときだと思う。

元々の性根が腐っている。これが底辺である理由の一つである。

芥川ドラゴソのYoutubeチャンネル。

芥川ドラゴソのTwitter。

『ドラゴン・オブ・ナチス』観た

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日記。

世の中には、つまらない映画のパターンというのが二つあって、例えば『実写版デビルマン』なんかは、圧倒的な物量を持ってして上から潰しにくる映画と、『エイリアンvsアバター』みたいに思いつきの勢いで、低予算で作ったために、圧倒的な質の低さを持ってして、下から突きあげるようなつまらない映画がある。

大抵、前者の映画は不名誉を持ってして、特異な人の記憶に残るわけなんだけども、後者の映画は記憶に残ることはない。そんな映画は沢山あるわけだし、それはただの記憶の空白地帯でしかない。そもそもそんな明らかな地雷を踏みにいく時点で、よっぽどの愚鈍か、酔狂かのどちらかでしかない。

で、Netflixで『ドラゴン・オブ・ナチス』が視聴できるので、コロニーで人々と見ていた。作品の内容はわかりやすく、「ナチスがドラゴンを復活させたので、それを阻止しよう」という映画だ。ドラゴンとナチス、という、完全にニッチな層に向けた映画なわけだから、B級でない筈がないわけである。というより、こんな思いつきをちゃんと形で作品にできることがすごい、という感じである。普通なら途中で飽きるか、脚本の時点で「無理だろ、こんなの」という風になる。そこは褒められるところだ。そして、ここで褒められるところはここで終わる。

さて、突っこみどころについては、各種映画レビューサイトに書いてある。問題はタイトルになっているドラゴン分とナチス分だ。だって、こんなタイトルの映画にまともな部分を期待しても仕方は無く、むしろそこにこめられている熱量が重要なんだ。多分。あと、こんなの見ても仕方ないのでネタバレもする。

まず、ドラゴン分。ファンタジー世界において、絶対的な恐怖の存在であるドラゴンなわけで、やはりそこには畏怖の対象というか、カッコ良さというか、そういう雰囲気が必要だろう。とはいえ、強さといえば戦闘機がちょっと強くなった程度。ドラゴンっつーか、途中からトカゲだな、と思って見ていたフシがある。途中でオスドラゴンが世界を破滅させるみたいなことを言うんだけど、呆気無く死亡するので、その強さが良くわからない。

さらにナチス分。特に無し。ナチス側の兵器といえばドラゴン一種という凄い極振り。ゲームの世界ですら悪手というのがすぐにわかる。現代でドラゴンといえば、まあ敵役といえばナチスということにしとけば、ドッグファイトする理由になるだろう、くらいの想定なんだろう。ドラゴンの翼についているナチスマークはさすがにカッコ悪い。ここでドラゴン好き向けポイントがマイナス一億点。

あとは、兵隊モノだから、隊長と部下との絆であったりとか、あるいはちょっとヒト癖もある男達が命をかけてミッションをクリアするという、いわゆるテンプレートのようなものを書きたかったのだろう。テンプレートみたいなもの、嫌いじゃない。むしろ好きなほう。ただ、本当にそのようなテンプレートだけなぞっているから、生焼けのホットケーキを喰っている感触がする。

まず、それぞれのキャラクターがわからないし、思い入れができるほど掘りさげてもいないから、あっけなく死んでいくんだけど、そのときに感情がわかない。あえて沸くとすると「面白い顔で死ぬなあ」という、非人道的な感想になってしまう。戦闘機は基本ドラゴンの炎に包まれて死ぬんだけど、雑な炎のエフェクトが画面にチョロっと出て爆発するから、なんか滑稽な感じになってしまっている。あと、部隊の会議に遅刻してやってくる兵士がいて、我々は「オッ、ちょっと規律は守れない問題児だけど、腕は確かなパイロットか?」なんて期待するんだけど、本当に遅刻してきただけだった、とか。

ドラゴンといえばファンタジーなのだけれども、ファンタジー要素といえば、ドラゴンを操る魔女の存在。なんだけど、単に絵を映えさせるために、美女を投入したかっただけでは、という気がする。いまいち存在が曖昧すぎて、どうにもならない。あとから動機もようわからんまま裏切ったりするし。オスドラゴンは復活させたらまずいみたいな話なのかな。だったら、もうすこしエクスカリバーで封印みたいな、思い切った話でもいいじゃないか。変なところで理性を使うな。

とはいえ、そうなんだ、B級映画なんだから、こんなのいいじゃないか。脚本に期待することが間違っているんだ。ドラゴンとのドッグファイトが突き抜けていればいいし、トンデモ展開で唖然とさせてくれればいいし、そうすれば、エンターテイメントなんだ……。だって、ラーメン二郎を喰うときに繊細な味付けは望まないだろう……。変なところで力を温存するな。

そうそう、ドラゴンの巣を爆撃に行くさいに、爆撃機の爆弾を拾うドラゴンには「理性があるな!」という感想を抱きました。ここも褒めるところだな、そういえば。

というわけで、近年の本質的なアニメである『異世界はスマートフォンとともに。』を圧倒するコンテンツなので、是非見て、せっかくの週末を無駄にして欲しいなと思います。見るなら友達と一緒に酒を飲みながら。

ちなみに、他に見ていた人は、体調を崩してパブロンを飲んでいた。